Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

支援・義援は宣伝か?単位か?評価か?点数か??

牛丼のすき家に入りました。250円の並みを食べました。

壁には大きく 東日本大震災で○○○××食の牛丼を提供をしました・・・と店員さんらしき若い女の子が吉野家の腕章をして写真写りよくニコニコして牛丼をついでいる写真入の大きなポスターが貼ってありました。

これって自慢? 宣伝かァ? なんて思うのは心が捻ていますかね??

本屋で雑誌を立ち読みしました。
いろいろな会社企業がこの震災の支援をしたことを大々的に掲載しています。
自分達は何々をしましたよ 幾ら幾ら集めて送りましたよ・・・という自分達のしたことを明確にする義務が発生することはなんとなく理解でますが・・・・・

そんなものなのかなァ~???? と思うのです。

ある学校ではこの震災のボランテアをしたら単位として認定されるのだそうです・・・

私が現役の教師だったとき、入試の時の合否判定会議では学級委員や部活キャプテンは点数化されてポイントが高くなっていました。何もない子よりは僅かでも有利です。

中学校や高校では前期に学級委員やキャプテンを希望する者が現れるといいます。
受験のために提出する内申書に間に合うように・・・・・・後期の役員は買って出ないというのが賢い受験テクニックになっているのが現実のようです・・・・・・。
入試に有利だから・・・親も何々委員長になることを入試に有利だからと勧めるというのです・・・・

親切が単位になったり点数になったり・・・・
何の打算も無いはずの行為が点数になるのです・・・

それを知っていて、計画的に計算してやったり・・・・・

純粋な親切や人目につかない善意はバカバカらしくてやってられなくなるような気分になります。

なんてこった!
これが日本の思いやりなのかと知るとちょっと嫌な思いがしますね。



何も求めないで直ぐに現地に飛び込んだ人達、
ニュースにも何もならずに、誰にも知られないで、「思い」ひとつで取り組んでいる人達・・・

こういうのはどうなるのでしょうね・・・

善意が全て計算された宣伝効果であったり普及活動だったり・・・

何の目立つことも無く、それが評価されることを願っているでもなく、
自然と出てくる思いであったり好意であったり・・・・

日本には世界に冠たる大企業がいっぱいあります。
社員を食わせるためには自社を守らにゃならないことはわかります。
それにしても、できることがあるように思います。
例えば、電力が途絶えて大停電になったとき、日本が先陣を切っている太陽電池、ソーラーパネルを一気に設置したらどうだったのだろう・・・・・・

田舎の不便地で足(車)が奪われているとき、日本の代表産業である自動車メーカーが車を提供したらどうだろうか・・・・・
石油メーカーがガソリンを提供したらどうだったろうか・・・・・
ハウスメーカーが・・・・・・・・飲料メーカーが・・・・・

こういう現実を見せつけられて、思いを巡らすと
この現実のアンバランスに頭がおかしくなりそうです・・・・

純真無垢の親切心の一歩裏にあるこれ見よがしの親切、思いやり・・・義援、支援、NPO・・・マスコミへの露出をねらったリリース(マスコミに事前に情報を提供すること)・・・・

北海道の北の果に近い町々が過疎で不要になった町営住宅の提供を申し出ています。
いま、何もかにも失った方達が即座に今まで以上の田舎へ、仕事も無い収入産業の無い田舎へ赴くことを望むでしょうか・・・
親切心は痛いほどわかりますが、過疎に苦しむ町にしてみれば住民獲得、過疎化回避のための解決策にも絶好のチャンスになるかも知れません・・・・・・

被災者の方々はこれからじわりじわりと今後のことを考えて遠い田舎に新天地を開くかも知れません・・・
都会の喧騒に身を置くことになるかも知れません・・・

どんなに時が経っても、どんなにこのことが薄らいでも、
いつでも、どこにでも 助け合いや思いやり支援義援がなくてはなりません・・・

そのことが宣伝効果や単位や評価のためにではなく・・・・・

この国、日本を根本から考え直さなければならないときのように思えてなりません・・・・

どうでしょうか??????

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by sportssmart | 2011-04-20 17:58 | Comments(0)