Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

<   2016年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

明日の来ない夜はない というけれど
もし・・・夜になって眠りについて 朝が来なかったら・・・どうするゥ???
朝が来ないイイイなんて気付いて騒いでいるうちはまだ生きているんだろうからいいけどね。
来るものだと思っている明日、あるものだと思っている朝・・・
また明日 またネ  see you !  see you next ! って分かれて
「またネ」が二度となかったら  明日が来なかったら どうする???

だから・・・きょうこの1日、今のこの時間、この瞬間を大切にせねば・・・・ネ!
あるはずの明日が約束されない、約束出来ない状態にあったなら
今やるしかないわさ ネ
そんなに先のことまで約束出来ないのなら、出来るだけ早いうちに取り組まなければ・・・・
1日1日が勝負で、1日1日が充実
そんな毎日が続けられるなら幸せだけどね
人間、そんなにキチキチにやっていられるものではないわサ
元がもとで、適当でルーズな性分だったんなら尚更のこと
約束できない時間を生きるってなんかスリルがあっていいもんでもあるけどね
何があっても颯爽と平気で生きるなんて なかなかできるもんではないもんよ
明日がないなら今日をいい1日にせねば・・・ネッ!
かといって、随分先まで予定を入れて
2,3年先にまで夢をもっているなんて、どういうこと?
でもね、せいぜい2,3年先までがいいところかな?
だから、神様がくれる折角のいい朝、いい1日を壊さないでくれよ
その前に夜眠ったら必ずいい朝が来る これが続くことが先だけどね!!



[PR]
by sportssmart | 2016-09-29 11:03 | 命・育み | Comments(0)

パラリンピックに思う

リアルタイムでパラリンピックに釘付け、ちょっと寝不足。
テレビのアナウンスはパラリンピックにもメダルメダルと連呼です
もっと違った見方・応援もあろうというものを・・・
貧しいね・・・ニッポン・日本人気質というか文化というか・・・

義足をつけて頑張っている姿に
車椅子を操って頑張っている姿に 力をもらいながら「凄いな!」って感服しています。

でも、ちょっと思ったんです
このパラリンピックというスポーツに出会える人達は
障害をもつ人達、障害を持ってしまった人達のほんの一部なんだろうなって・・・
もっと多くの障害を抱えている人達は
あんなにスゴイ車椅子に恵まれる機会も、あんなにスゴイスポーツに触れる機会も殆どないんだろうなって・・・
多くの人に支えられて、特別な(高価な?)道具を手に入れて、移動して、施設に通って・・・・
って莫大なエネルギーと支援を必要とするだろうなって・・・
そして、それを支える人達の凄さ?にも感服します・・・
時間もお金もかかるだろうに、殆ど「持ち出し」でやっているんだろうなってことが想像できます・・・・
家族の応援が無ければ・・・周りの応援が無ければ・・・
何よりお金がなければ・・・
何不自由のない健常者だってそんなに条件に恵まれることもないのに・・・

障害のある人達の誰でもができることではありません
これが、障害をもつ人達みんなが、誰もが楽しめるスポーツになって
誰もが参加できるパラリンピックになれば素晴らしいのですがね・・・

この素晴らしいパラリンピックを誰が言いだし、誰が始めたんだろう・・・って感心します。
調べてみると
1948年イギリスの病院で第二次世界大戦で脊椎を損傷した兵士のためのリハビリテーションの科があって
そこの医師ルートビッヒ・グットマン博士の提唱で院内のアーチェリー競技会として始まったということですが、オリンピック(IOC)と共同するのは1960年のロンドン大会からということです。
その後1964年の東京大会で共催した後はオリンピック開催地で行う方式は中断され1972年のハイデルベルグ大会から復活したのだそうです。
正式名称が「パラリンピック」になったのは1984年ソウル大会からIOCが直接かかわるようになってからということです。
2000年にIPCとIOCの間に協定が結ばれオリンピックに続いてパラリンピックが行われる正式な義務化がされたということです。
因みに、パラリンピックのシンボル旗の赤・青・黄は
人間の最も大切な要素である「心(スピリット)肉体(ボディー)魂(マインド)」を表しているんだそうです。

1960年パラリンピック委員会の前身である国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織されこの年第9回ストーク・マンデビル大会がローマオリンピックと並行して行われ、これが第1回パラリンピックと呼ばれているんだそうです。
その後の東京オリンピックがこれを引き継ぎ、ここで中断されてしまい、1978年の再会を見るのです。
1984年のソウル大会で正式に「パラリンピック」となるのですからそんなに昔のことではないのですね。

その間に、車いすバスケットボールでは障害者の中に健常者が混じって金メダルを取ってしまうということがあって、この後知的障碍者がこの大会から締め出されたりと、やはりこの世界にもメダルメダルに固執する「勝利至上主義」が蔓延するわけです。

障害者の方々が頑張っているその陰では、違う視点で見れば、熾烈な機械工学やIT工学のものつくり技術の世界競争が見えます。
日本の選手が選手自身の力で得られる勝利なのか、技術に助けられた勝利なのかを考えるとき、
このパラリンピックが世界中の国々、地域にもいる障害をもつ人達に平等にそのチャンスがあるかといえばそうでもなさそうです・・・・
人間が人間の夫々の条件下で確かめる能力の競い合いではなく、人間が開発する道具や機械や技術の競争になっていくような気もしてなりません。
支援スタッフの仕事も真に障害者の方々の頑張りに応援するのではなく製品商品の売り込みに加担することが仕事になってしまってはパラリンピック旗の3色が目指すところと違ってきます

自然に敬意を 自然に勝る者はありません
人間に敬意を、人間に優る者はありません
どんなに機械が優れていようと技術が進化しようとも、目を当てるところがその人そのものでなければ・・・

見様によってはオリンピックよりも多くのことを教えてくれるパラリンピック
フィールドやコートで活躍する日常生活に不自由をもつ選手達を客席で応援する不自由のない健常者たち
オリンピックとは全く逆転現象の映像を見て
オリンピックの裏返しがパラリンピック を感じます。

えてして関心が薄くなりそうなパラリンピック
どれだけ多くの(関係者でない)人達がこのパラリンピックに関心をもっているか・・・
多くの人がオリンピックと同じように心を向けてもらいたいものです。




[PR]
by sportssmart | 2016-09-18 13:30 | 本当に大切なこと | Comments(0)
8月31日、急な病変で1カ月入院して、退院してからちょうど半年。
定期診断で病院に行ってきました。
医者が言うのに、これは治らないんですよ、もとには戻らないんですよ。
オリンピックを目標にしていた人が、パラリンピックに目標を変えなければならないのと同じです。パラリンピックを目標にしている人なら、それも諦めなければならないほどのことと同じなんですよ。車を運転して移動していた人が子供の乗る三輪車で移動するくらいなことで、諦めるというよりは考え方や目標を変えるくらいの気持ちで頑張ってくださいネ といことで半日リハビリの指導を受けてきました。

でも、体は動くし、まだ、生きているし・・・
何度道は塞がれてもこうしてやってきたし・・・・
God is my Fun! 神様は私のファンなんだ
神様は私のことが好きなのかな??!!
何度死にかけても、何度道が塞がれてもこうして生きているもんね。
生かしてもらえるだけ幸せ、
God is my Fun. 何度死にかけても見放しはしないんだから・・・・
方法を変えて、やり方を変えて・・・・最後まで・・・トライや!

小学校の頃は遊び呆けて、同じような遊び呆けている友達がいっぱいいました。
中学校に入ると部活動に入るということがあって陸上部に入ってみました。
何だかチョットちがうな?っていう感じでブラブラしていると社会科の先生だったかな?ちょっと強面のどことなく信頼感のある近藤先生からサッカー部に誘われました。
そこには、近藤先生のクラスの困っている生徒(らしき)もいて、チョッピリ不良の集まりのようでした。
アレッ?オイラも不良のひとり?なのかな?なんて感じながらもサッカー部で田舎の管内大会は総なめの強さを誇っていました。
それもそのはずです・・・
相手チームはこちらのフルバックを怖がって攻めてこないのですから・・・・
そのフルバックは今は亡き水戸優くんといって近藤先生の「困っている生徒」なのですからその効果は抜群でした。「オラオラこの野郎!打ったら殺すぞォ!」だもの
この最後のデフェンスラインを越えようものなら後で呼び出されて袋叩きにされてしまうという噂が飛びまくっていましたから・・・(実際そんなことがあったのですが・・・?!)
水戸君は子供の頃からの遊び仲間の自分達にとってはそんなことをするようなタイプでなくガタイと声だけが大きい優しい奴だったんですがね・・・・今思えば近藤先生も子供達の特性をつかまえて、常勝サッカー部を率いて楽しんでいたんだろうなって思います。近藤先生が生きていれば95歳か100歳近くになっているんだろうな なんて思いだしました。
秋の駅伝の季節になればチョット来いと呼び出され冬になればスキーのクロスカントリー競技のリレーで走らされ地区大会レベルでは優勝旗をかっさらってきたのを思い出します。これだって、部員がいなかったから取り敢えず穴埋めにだされたのでしょう・・???
今ならわかるけど、そのときは、あれやこれやのスポーツ仲間と楽しんであちこちの大会地に遠征できて楽しかったのですがね・・・
高校に入るとあちこちの部活を股にかけるわけにもいかないのでとりあえず陸上部に。
この陸上部というのが冬になるとスキー部に変身する部で運もあってかチョットは才能を発揮してか地域では目立った選手になるわけです。夏は陸上で冬はスキーで全国大会に出場する勢いだったのですが、そのお陰で、インターハイでの初優勝を目論む私立高校にスカウトされたりして、ちゃっかりアルペンで全国優勝しちゃうんです。
大学に入ればアルバイト気分で出場した日本最初の賞金レースで勝ち昇っちゃって新聞やスキー雑誌に載ったりして、当時はアマチュア規定というものが厳然とあってその後のインカレやアマチュア大会、全日本選手権等には出れなくなってしまうんです・・・・
それからはすっかりスポーツ人生も狂ってしまって・・・・・
思えば、どんな時も運が良くて、大して強くも速くもないのに周りが転んだり、躓いたり、水戸優君のように強烈な個性あるバックスがいたりでいつも上位チームに居たりシード選手であったり、優勝したり入賞したりのそこそこに、負ける敗者の味より「勝つ」味を味わっててきました。
勝つことから学ぶことは『喜びの中から或は「少ない痛み」の中から学ぶ』ことが出来るので多くのことを素直に真っ直ぐ受け入れることが出来ました。

このごろ、小さい子供達をみていると、強かろう弱かろう、速かろう遅かろう、勝ち負けに関係なく喜びも悔しさもみな平等に分け合って、そこにある感動や悔しさから何も学ぶことなく、また、学ばせることもしないまま、悪戯に慰めあって、ただ舞い上がって、時には直ぐに諦めてそっぽ向いて、勝てないことだけに拘って・・・が多いように見られます。
いい指導、いい指導者って何だろな?ってときどき思います。
資格をもっていることと、資格を取ることや勝つこと、勝たせることが指導者の自負するところという大きな勘違いが見え隠れしているようでなりません。
あっちでこっちで相手にされなくて、どこでも通用しないような「あぶれた」子供を集めて地域の優勝を楽しんでいた近藤先生。その辺のめぼしい悪タレを集めて人数不足を補っては自分の得意な夏の陸上競技と冬のスキーだけを楽しんで優勝カップを総なめにしていた大谷藤樹先生。
そんな変わった?恩師に出会えたからいまのスポーツ指導者としての自分がいるのでしょう。
そして、スポーツを通して子供を育てること、教育することの何たるかを机上の学問ではなく実地をもって学ばせてくれた「学びの世界・学びの過程」があったからこそ今があるのを感じます。
大学にいって何を学んで、何を身につけて現場に出るのでしょうか
職に就いてその仕事場は若い卵を育てているのでしょうか・・・
余程取柄があるわけでもなく、よほど勉強したわけでもなく、大学に入って、余程鍛えられて卒てきたわけでもなく、漫然と試験をクリアーして採用された「優秀な」先生達が子供に何を教えているのか・・・・

孫の小学校を覗いてみました・・・・
こんなんで・・・、こんなところに大事な孫を預けてはおかれない
と思いながらも、世の中の流れには逆らえず致し方なさを感じます
まだまだ人生の何たるかも人の心の機微も感じられないような中途半端な管理職が育っている現状が学校というところを退化させているようにも思えます。
なんでも子供中心で、子供の言うなり、親が求めるなり が学校ではありません
学校は子供の学び場所育つところ、子供の遊び場、子供が大人になるところです
学校は子供がつくる ところではありません
そこで子供に接する先生が学校をつくっているのです。
先生が、そんなんでは子供が学び育っていく「学校」はつくれません。
学校は先生の「遊び場」ではないのですから
人育ての原点を忘れず、上手に遊びながら、遊ばせながら、将来の、先のある人間を育てていかなければなりません。
今になって、気まぐれみたいにあぶれた子供達(生徒達)を集めて部活を楽しんでいた?先生達の崇高な教育観を感じます。
その中で育って、今の自分があり、時代と共にそんな自分が通用しなくなっていくのかと思うと一抹の寂しさを感じる最近です。

でも、そんなこと関係ねぇ~
「勝つ」喜びを味あわせながら、その中から敗者に心いく子供達を育てること、
道を変えなければならない時が来たとき、サッパリと次のことに挑める強さを残してやりたいものです。
「道を変えなければならない時」「究極の選択」を迫られるときは人生の中で幾度とやって来ます。いよいよ今までの道を大きく変えなければならない時はそう容易く変えられるものではありません・・・・
でも、変えなければならない、そんな時もあるでしょう・・・・
その時、子供達は、いまのこの時のいっしょに遊んだ日のことを思い出し、そのことが大きな力になるのなら いまの私は「いい仕事をしている」 のかも知れません・・・・

神様が見放さない限り、方法を変えやり方を変え、やってみようと再度のチャレンジに心を向けるのにはよほどの力が要ることです・・・
でも、最後までやってみましょう・・・少しばかしきつくとも・・・・


[PR]
by sportssmart | 2016-09-02 21:03 | 教育/学校 | Comments(0)