Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

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中1上村君殺害のこと
酷い出来事です
こんなことが……あっていいのだろうか・・・・
目を、耳を疑ってしまうような
ありえないことが平気で起こる世の中になりました
それは何故?どうして????

戦後間もなく生まれた私達の世代
平和ボケしたころに生まれた子供達
平成生まれの子供達
もっと昔のサムライの時代に生まれた子供達
長屋住まいが当たり前の貧しい時代に生まれた子供達
みんなが「同じ」平等感覚の最近の子供達
いつの時代でも、子供の世界はそんなに変ってはいないのではないでしょうか

いたずらっ子がいたり、いじめっ子がいたり
兄貴分がいたり弟分がいたり、ボスがいたり使いっ走りがいたり
弱虫がいたり泣き虫がいたり・・・

気心の許す仲間と一緒に万引きしたり泥ボウしたり(ちゃんとバレて叱られて、散々懲りてきちんと反省したものです)
くそ真面目で賢いけどひ弱な仲間の代わりに喧嘩を買ったり
他校の生徒にやられた仲間のために仲間を集めて殴り込みに行ったり
五寸釘を線路の上において列車に踏ませて先のとがった鏃(やじり)を作って
葦の先に括り付けて弓矢にして打ち込んだり
ホンダスーパーカブなんていうバイクが人気を呼んだ頃には
そこらじゅうに停めてあるオートバイに合いカギを合わせてみて
偶然にも合ったバイクに共犯の友達とまたがって、盗んだ気持ちもなく乗り回したり・・・・
(上手く出来ているもので、すぐに補導されて反省文を書かされて・・・しっかり反省しました)
喧嘩もしたけど、知らないうちに喧嘩の相手と仲良くなっていたり
(この友達は後々大親友となるのですが若くして早死にしてしまいました・・・)
仲間が困ったといえばありもしないパーティー券を売ったり

思い出せばあるはあるは・・・・考えられる範囲の悪さはよくやったものです
みんな、それなりにあっちでもこっちでもバレないように
しっかり見え見えにバレているのに、知らないつもりは自分達だけで
やることなすことトンチンカンで、それでも悪いことしてるような気持ちもなく平気でいたのだから平和な時代でした
何より、そんな子供でもちゃんと見守られていたのです

そのちゃんと見守られていたことはずいぶん後になってわかるのです
大人になって少し賢くなってから……

サムライがまかり通る時代なら、
士農工商の身分制度の中でも、子供の世界はみな同じで、武士の子供も農家の倅も一緒に遊んだんだろうことは予想されます
時がきて、身分の違い、身持ちの違いで住む世界が分かれていったのでしょう

今は身分の違いはないのです
若干の貧富の差でその心持は違うかもしれないけれど
多くの子供が通う「学校」という世界では貧乏も金持ちもなくみな同じです
その中で「仲間」「友達」の世界ができ、いろいろな関係試練がうまれ
小さな世の中を体験しながら 何が良くて何が悪いのか、許される範囲はどこまでか 等々の関係性や社会性を身につけていくのです
子供を育むのは家庭学校地域などと言ってすべてを理詰めにしてしまう賢い人達ですが
そんなもんではなく
子供は子供、その中で育っていくのです
子供同士が仲間を労わり、助け、助けられ、認め合い、傷つけあいかばい合い、付いて離れての繰り返しの中でその関係性がつくられていくのが時代が変わろうと変わらない子供の営みではないでしょうか

大人が見抜けなかったサイン・・・・などというけど
自分が子供だった頃、そんなに簡単に自分のあり様を表現できただろうか・・・・
そんなに簡単に助けを求められただろうか・・・・・
そんなに簡単に自分の悩みを打ち明けられただろうか
そんなにスムースな友達関係だっただろうか…・・

時間が経って、大人になって、いい歳になってふと振り返る時初めて子供の頃の自分に気付くものです
多くの人は、酷いことだの悪いことだのと善人ぶったことを言うけれど
自分の子供の頃はどうだったのだろうか
あまりにも小さくまとまりすぎて悪いことのひとつもしなかったからなのか、出来なかったからなのか
勉強ばかり塾通いが忙しく、外にも出ないで家の中にこもっていたのか
お坊ちゃまお嬢ちゃまで外の世界に触れることもなかったのか・・・

そんなわけはありません
みんな子供のときがあったのです
自分の子供に「いい子」であれと求める前に、自分はどうだったのかを思い出してもらいたいものです
大して出来のいい子供ではなかったはず……
みんながみんないい子でいたならこんなに物騒な世の中になるわけがないだろうに……

子供の頃の自分を思えば
いつどこにでも反れてしまいそうな危険はあるのです
それがクネクネ曲がりながらもちゃんと真っ直ぐ育つのですから世も捨てたものではありません

どうしてこんなことが起こるのか
曲がりながらもまともに育った私には理解に苦しみます
同じようなギリギリの悪さは図り切れないほどやっていた子供の頃の自分が懐かしくも可愛らしく思います
それは、経験の中で「許せる範囲」をちゃんと、本能的に身につけてこられたからでしょう

この「許される範囲」を知らないまま大人になっていく子供達
これが大人のせいであったり社会のせいあったりに転嫁してしまうのは早計の様に思います
同じ時代を生きてきた世代の中にも カァッっとなって「許される範囲」を超えしまう人もいます
止まるところを知ってはいても越えてしまう、人間としての自覚が希薄なまま大人になってしまったのでしょう
この頃は「許される範囲」を知らないまま育つ子供達もいます

人間は、本能的に「許されること」と「許されないこと」を知っているはずです
この「理性」の範囲を超えてしまうバイオレンスという「本能」の世界に入ってしまうのは何故でしょう
罪と罰がもっと明確であれば子供達は何が良くて何が悪いかを学ぶでしょう
(例えば、政治家の行い過ちにあまりにも曖昧すぎる処遇はこの国の大きな指標になっているかも知れません)

娯楽にしても 情報にしても ITツールにしても、マスコミにしても
していいこと・してはいけないこと、作っていいもの、悪いモノ
人に子供に見せていいものわるいもの などなど全くその区別のない世の中になりました。

悪いことをしたらゲンコツがあった時代
悪いとは思わないでする子供の無邪気な行いに親や大人のゲンコツがちゃんと教えてくれることがありました

子供の世界はいつだって可愛らしくもあるけど残酷でもあります
そのメカニズムさえ知らないで、自分はまるでいい子だったみたいに子供にいいことだけを求めすぎる今の世の中です 
自分の子供の頃を思い出して
もっと単純に、シンプルに子供の本心本能を思い知ることが大切です
直ぐに学者や専門家?が知った顔してトンチンカンなコメントをしている姿に馬鹿らしくなります
もっと、庶民で、もっと生活者の目で実際を見ることが必要ではないでしょうか
専門家?は本当は、地に暮らすただの人の中にいるのでしょう
役人官僚、文科省・教委の堅物が出来ることではありません
その声をこそ拾わなくて、この先の解決の道はないように思いますが・・・・

あまりにも子供の実態からかけ離れている社会の目(テレビの目・エリート?官僚の目・マスコミの目)には呆れます
ニュースキャスターの知ったかぶりの余計なコメントは要らないっていうの!
もっと、世の中に長けた人の声を拾ってみてはいかがでしょう

多くのみんながうなづくことでしょう・・・・

イギリスの文化の中に
「ラグビーは子供を紳士に育て、大人には子供の心を蘇らせる」と言われる言葉があります
大人に子供の頃を思い出させる、いつまでも子供のときの心を忘れない という純粋さが子供の理解と導きにつながることでしょう。






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by sportssmart | 2015-02-27 19:37 | 本当に大切なこと | Comments(0)
何んとか、どうにかしてあげたいアジアの教育
お金だけでは買えないもっと大切なこと

スキー場は旧正月春節で Many Asian & China で賑わっています
レッスンを通してその国の教育環境・教育レベルが伝わってきます
海外からのお客様を相手にしていますので
南半球のオーストラリアNZをはじめアジアの方々が多いのですが
いやいや、
シーズン初めの頃は私の英会話力の不足するところかと思っていたところ
お前の英語は十分通用する と言ってくれる方々が多くいるので、それは当てはまらないようです
それにしても、
国によってモノの理解力というのが随分違うものです
OG,NZの明らかに外国人という感じの白色人種の人達は
大雑把でも、ちゃんと理解しようとし、予測し実行に至ります
中華系の方々は全く違います
フィジカル(物理)自体を理解していないことが多くあります
山のてっぺんから滑り降りる(落下してくる)スキーに不可欠の地球の重力遠心力、方向落下速度地形の変化なんてことは全く考えもつかないほど物理的な解釈はありません
力をどう使うか、どっちの方に力をかけるかなんてことは余程親切丁寧に教えなければ理解できない人が多いのに驚きます 
それらを小難しいことでなく簡単に教えるのがポイントなのですがそのあたりの基礎的な知識の土台があるかないかで上達は全然違います
学校での教育内容の違いもあるのでしょうが、身についている基礎知識・基礎力というものが日本のそれとは雲泥の差があるのを実感します
そもそも、体育という概念が薄いのが外国の常ですから
単なる遊びの時間をスポーツとしているところが多いのがアジアです
から、右、左、体の部位さえ理解してない国さえあるようです
日本の学校で、一応共通に受ける体育授業の体験が
自分の体のコントロールに大いに役立っているのが基本だとすれば
外国の、とりわけアジアの国々のそれは一体何なんだっていうくらい雲泥の差があります
たかだかスキーレッスン程度のことではありますが、
たかだかスキーを楽しむ程度のことでも
こんなに教育程度の違いがあるのだから、日常の多くのことに理解力の無さ が大きなハンデをもたらしているだろうことが予想されます
ただ、他より上手く滑れることに自慢を感じるのでしょうか、スキルには異常に拘ります
山々の景色を目にして感動する心なんていうのは余分なことのようです
スポーツの楽しみ方も、人生の楽しみ方も、教育力の違いが明らかなアジアの国からのお客様です
日本が優れているというのではなく
スポーツの楽しみ方や身につけ方の違いが楽しみそのものさえ台無しにしてしまいます
言葉にしても、フィジカルにしても、マナーにしてもセンスにしても
このアジアの遅れを何とかしてあげたい気持ちに駆られてしまいます
円安に乗じて、アジアの裕福層が大挙して訪れる今シーズン
たかだかスキーレッスンではあるけれど
アジアという国がどういう状態にあるのか、日本という国がどういう国なのかなどなど
比較対象が明らかになるスキー場のひとコマです
それでも、日本の観光客歓迎は「お金が入ればそれでいい」のですから
それもどうかなァってふと思うのは余計なお節介ですかね?

やれやれ・・・・・・









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by sportssmart | 2015-02-25 21:25 | 心を開いて世界を拓く | Comments(0)
2カ月前は去年の12月
シーズンが始まってまだ3月も終わってないのにもう春の声が聞こえそうです
3月の声を聴けば直ぐに春
春・木々に緑がつき花が咲けば直ぐに夏
夏が過ぎれば直ぐに秋、秋になれば直ぐに冬
季節はあっという間に過ぎていきます
冬が続けば春を待ち、春を迎えれば直ぐに夏を待ち
夏が終われば冬を待ち………

なんだか、いつも次を次を と次を待っているものです

四季のない国の人達が「冬・雪」を憧れて訪れます
季節のない人達は何を待っているのでしょうかね…・・・

スキーを教えて喜んでもらってナンボ の仕事をしていますので
自然の織りなす様々な状況がいろいろなことを教えてくれることをしみじみ感じます
ターンを教えるとき
自然がなす地形の変化、地球の重力、遠心力 に耐えながらジワ~っとターンの感触を待つということがあるのですが
それはなかなか教えにくく感じさせにくく、表現しにくいことなのですが……(それを上手く伝える(英語フランス語などでね?)のが仕事なのですが・・・)
重力が成せる落下スピードに耐えて待つのは勇気のいることで簡単に出来ることではありません
自然の中で遊ぶスキーですので、いつも「自然の摂理」と歩調を合わせることが必要です
自然の成せることに上手く合わせて・・・
骨と筋肉でできている人間がこの肉体を上手く合わせるには神経も大切な役割を果たします
運動神経ばかりでなく、視覚から映る恐怖心にも勝たねばなりません
皮膚に感じるスピード感覚にも勝たねばなりません
心に感じる恐れ(不安)にも勝たねばなりません
怖くて待ってはいられないのが普通です
でも、これを越えて克服して初めてターンの心地よさを感じるのです
この心地よさがたまらなくて、次はあの山、次はあのコース と次々の挑戦の喜びがスキーの魅力を誘います

天気が悪くて、今日のスキーを待つこともあります
真新しい新雪にわれ先に飛び込むこともあります
急斜面で、微妙にターンのタイミングを待つこともあります
待ちきれず急ぎ過ぎて転ぶこともあります
斜面が怖くて待ちきれずにターンを急ぐこともあります
待つ タイミングを外して暴走する時もあります
地形の変化に負けて弾き飛ばされることもあります
織りなす自然条件とピッタリ調和して滑り降りる自然とのハーモニーは格別に爽快です

自然は、自然の中で、スキーで、「待つこと」の絶妙さを教えてくれているようです
それは、人それぞれの感覚で、本能とでもいうのでしょうか
習って教えてもらって出来ることではありません……
自分でつかむものなのです……人それぞれにその感覚条件は違うのだから

この「待つ」と「する」のタイミングをどうやって解らしめるか??
それはそれは奥が深く、とても魅力のあることでもあります
上手く「待って」上手くはまったとき、その喜びその快感の扉が開かれるときは最高です

地球の重量、遠心力に耐えて、ターンを「待つ」
春を待つ、次を待つ 何か、どこか通じるようなものを感じます

こんなことをしているせいか
次々にいろんなことが起こってもじっくり待つしかないせいか
焦っても仕方ない と腹をくくっているせいか
この頃はなんとゆっくりしていることか

自然が教えてくれる「待つ」「待て」「待てば」……なかなか味わいのあるものです
貴方もスキーに一度訪れてみてはいかがでしょう
「待つこと」に強い必要があって苦しそうにこのブログに辿り着く人たちの多さに心を痛めます。

山の中で高い空の青さに、ゆったりした白い雲に、真白なゲレンデに
のんびりと幸せを感じる時間が流れる解放された時間を味あわせてあげたい気持ちです・・・・
新しい力を生むための時間が「待つ」時間です
死を待つにしても終わりを待つにしても、次の何かを待つにしても
神様は、待っている間に新しい力を生む、そのための「待つ」時間をくれているのでしょう
急がないこと、恐れないこと、懲りないこと
スキーの上達のヒントはここにあります
なんか「待って」いるあなたに当てはまるでしょ?
自然が教えてくれることはいっぱいです。

では、お元気で。




 

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by sportssmart | 2015-02-22 22:06 | 本当に大切なこと | Comments(0)
何の利害もない、国を超えて、幸せなひと時を過ごす写真を掲載できないのが残念ですが……


香港から初めてここを訪れたお客様と2日間一緒にスキーを楽しみました
何回かスキーの経験はあるようで全くの初心者ではありませんが、それでも、まだまだ……
8才の男の子はとても子供らしいスキーレベルでは日本の同世代と何ら遜色のない上手さです
一日中滑りまくって、食事を一緒にし、会話をし、笑い、戯れ、親御さんとはいろいろなことを話しました。
こんなことは初めてのことではなく、毎日のように繰り返されています
毎日毎日、時には3,4日、1週間以上に渡って行動を共にすることもあります
スキーの話は勿論、スポーツの話、天気の話、学校の話、国の話、暮らしの話、仕事の話、世間話、触れてはいけないように恐る恐る政治の話に及ぶこともあります
でも・・・・考えていることはみな同じです。
買い物、物売り・・・経済効果、お金お金って大騒ぎのテレビニュース・・・・・
でも、実際はそれがすべてではありません

そのことを多くの人は知っているのでしょうか・・・・・・
子供に日本の文化に触れさせ、動物園に行き、水族館に寄り、流氷を見せ、自然の違いを感じ、
人の暮らしを知り、異文化を感じさせ・・・・人と触れ・・・新しい世界を感じさせ
その先を願い・・・・
親の思いはみな同じです・・・
出来るかどうかは別にして・・・・

悪戯に裕福層だけがなだれ込んでいるのではありません
日本を訪れることに価値を見つけているからです
テレビの中の「春節」とは違う春節の利用があるのです

日本の「春節騒ぎ」を知る人の多くは、このことを嘆いていました

日本に憧れ、日本を訪れ、持ち帰るものは持ちきれないほどの「モノ」ではない人達がいっぱいいるのです

私のすることは直ぐに現ナマに化けるモノ売りではなく
お金にならない人と人を結ぶ「時間」です
それを生むものがスキーであったり、雪山であったり・・・テーブルを囲む団欒であったり

どのテレビニュースも中国の春節爆買いツアーと、こっちにもこっちにもと経済効果に飛びつく人呼び合戦ばかりです
国と国を往来する観光訪問がもたらす、その先にあるものは何か・・・を能々吟味して
観光立国のあり方を考えてみる必要があるでしょう

オーストリア、そこに行くのに立ち寄ったドイツ・ミュンヘン、デュッセルドルフ、
オーストリー・ザルツブルグ州のエッタール(谷間)にある山岳観光地ツェルアムゼー、カプルーン
国境に接するフランスグルノーブルシャモニーの山岳観光地
観光立国ニュージーランドの首都・ウェリントン、日本人修学旅行になじみのあるオークランド
温泉地と名高いロトルア、田舎の良さが広がるコロマンデル
サッカーで人気のブラジル、人種のルツボのサンパウロ、サッカーの神様ペレが所属したクラブで知られる、コーヒーのメッカ・サントス
どこに行っても、観光地ならではの物売りありましたが、日本ほどの経済効果に躍起に走る国ではありませんでした
多くの国からの訪問者を迎えて観光立国として成していこうとすることのもっと奥深い核心を知っていたかのように何の無理もなく人と人の交流がありました
経験を通して,空気を通して感じ学んだことは数知れません

一方では、国レベルの経済レベルで、政治レベルで、教育レベルで人を識別する風潮があります
心のどこかでその国の人や暮らしを軽んじて、その人たちが持っている財布の中身だけに平伏している卑しい日本を感じます


誰にでも同じで、誰とでも同じに……
政治レベルとはちがう、市民レベルの何の問題もない付き合いがここにあります
日本以外の多くのアジアンに共通する「春節」が運ぶものは
モノに群がる姿、売り上げに躍起になるそのことではなく
もっと大切なものがあるようです

誰も、核心に触れない、触れられない この国です
巨大政党がなす一方的判断のように、小さな力は力ではありません
学校でも、会社でも、子供達の世界でさえもそのように、
核心に触れようものなら、変わり者で終わってしまいます……
誰かが核心に触れなければ
みんなが思っている、知っている真実はそのまま搔き消されて何もなかったかのように過ぎ去られていくのが世の常です。
さてさて、
アジアの春節をどのように生かすか……
もののあり様を今一度考えてもらいたいものです……

空高い青さと真っ白い雪山の中で、香港上海北京と中国あちこちからの観光客と
オーストラリア、NZ、時にはポーリッシュ(ポーランド人)サウスアフリカ、UKなどなど世界のあちこちから訪れる観光客スキー客と共にするひとときが、テレビニュースとは全く別の世界を知らせてくれます

日本という国の、
マスコミの関心ごとの
核心を見られない、見ようとしない、薄っぺらさに
ただの日本人として嘆かわしく、悔しくも、残念さを感じます

大切なことを伝える・核心に触れる
Committed to the Core
に拘りながらも、何もできないのが現実の厳しさですが
ここでこうして人と触れ、真実はひとつであることの実感を持たせてくれる時間があることに喜びを感じます

何んとか、この真実を、この現実を 伝えられないものだろうかと考えさせられる毎日です


遠くに山脈・大雪山連邦十勝岳を仰ぐ
富良野より

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by sportssmart | 2015-02-19 22:39 | 本当に大切なこと | Comments(0)