Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

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私は、リンクしている北海道日高のスキー登山自然学校ensajapon.exblog.jpのとおり、普段はラグビーコーチや柔道家でもありますが、スキーコーチであり「山や」 でもあります。海と山、どちらが好きかといえば山が断然専門です。
でも、夏の海の開放感となんとなく遇たらなあの感じも好きです。

雪国育ちの私は子供のころからスキーに親しみ、そのお陰で雪山との付合いが長く、夏は夏で残雪を求めて高い山をめざしました。

登るのは滑るため。
下るのは少しでも早く滑り降りるためのトレーニングでした。
何キロもの荷を背負って3時間近くもかけて登った山でも15分ほどで駆け下りるという足元を少しでも踏み外せば転げ落ちてしまうほどの危険なトレーニングを積んだものです。

そんな学生時代、現役時代を通して幾度かは危険きわまる、今思えば、
あの時死んでいたかもしれないと思うほどの危険なめにも遇っています

その度に、山から厳しく諭されました・・・
「なめんなよ、このヤロー!」とばかりに捻挫や骨折の痛みを与えられました。
誰にも見つけられずに一晩を茂みの中で痛みとともに耐えたこともあります。
死ぬかと思ったときも・・・
その度に自然の凄さ、厳しさ、恐さを思い知らされました。
そして、観念的に自然には逆らえないことを感じている私です。

本で読んだりテレビで見たり、人から聞いたりして思い浮かべるような類ではないのです。本当に、恐く、逆らえないということを経験的に知っているのです。

だから、計画的に山に入って練習する計画を立てるときも、
山登りを企てるときも、決して無理はしません。

荒しに出会えば、凌げる処を探して嵐が通り過ぎるのをじっと待つことが賢明ということも知っています。
たたきつける強風雨の中を強行突破する強靭な体力と、精根尽きる状況の厳しさにひたすら立ち向かう精神力も持ち合わせていた若い頃もありました。
パーティーを守るために、英断勇断を下さなければならない局面に立ったことも幾度かです。

そんな若いときがあったからこそ、いまは今の体力で自然と向合い、
「仕方ないサ」と自然に逆らわずにいます。
その裏側では、経済社会という解決し難い難物と闘っていますが、こればかりは“仕方ないサ"では済まされないことばかりです。

社会の逆行はともかく、自然には勝てないことを知っています。
だけど、屈しない気力と体力、それに、何度となく登った山々の経験が授けてくれた知恵があります。
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今回の日本列島の東半分を覆うほどの東北関東大震災は、人類が経験したことのない大きな自然災害です。
科学の粋を尽くした電気も足(車・燃料)も、一瞬にしてすべての文明の力(利器)が洗い流されてしまいました。

そんな、自然の脅威を思い知らされたといっていい状況です。

救助隊が来るまで谷間の岩場で待ったあの僅かなときが、なんと長く感じたことか・・
いま、思い出せば若い日の勲章のような語り草ですが、あの時は大変でした・・・・・

自然は多くのことを教えてくれます。
強くもしてくれます。鍛えてもくれます。洗ってもくれます。
穏やかに晴れ渡った山頂の朝は澄み渡った清らかな気持ちにさせてくれます。
嵐の夜は想いも及ばないほどの恐怖に襲われます。

一旦山に踏み込んだら、そんな時もこんなときも山の天気という自然と付き合っていかねばなりません。
それにもまして、自分の弱っていく体力であったり萎えていく気力であったり、背中に背負った荷の重さであったり自分の状態とも闘わなければなりません。
ときには貴重な荷や装備を放棄しなければならないこともあります。

一刻一刻状況が変わっていく被災地で闘っている被災地のみなさんは
この本物の山登りなら誰しもが知っている自然の脅威を受け入れることが自然の脅威に屈しない「人知の勝利」につながるということを信じて耐えていただきたく思います。

社会全体での救援態勢を急ぐことは勿論ですが、自然のなせる業に敬意を表し、それでも屈しないのが人間です。

隣国と土地を接しない私達単独島国の独立国日本はあまりにも多くのことに無防備に、
しかも、のんきに他人事のようにやってきたように思います。

何人かの人達は、私と同じように
偉大な自然の脅威に、初めから敬服し、そこからの立ち上がりに、そこからの生還に心を配っている人たちがいることと思います。

悪戯にブームにのった、ハイキングに毛の生えたような登山と
登山ファッションを楽しむ程度の登山家?ではない「山や」は
自然の厳しさを受け入れ、そいつを征服し、そこから生還することを知っています。

それには、簡単ではない忍耐がいることを、
諦めない、屈しない闘い(登り)続ける精神力が要ることを知っています。

山登りにも似ている今の状況の中、
私にザイルとピッケルがあれば助けに行きたいところですが、
悲しいかな、山やにとって大切な装備さえ売り払い、その上、私のリュックの中には食料さえ入っていないというあり様です。
そこまでの旅費も用意できません。

緊急の救助を必要とするこの時に、何もできない私をお許しください。
もう少し、自分に力がついたら助けに向います。
それまでは自力で耐え、這い上がってください。

救援は続きます。

飛びつきやすく飽きやすい日本という国中の体質がいつまで心を持続できるかも課題です。
既に、人の窮状に付け込んだ金集めや盗人もこのときとばかりと活動をはじめています。

放射能拡散を最小限に食い止めようと現場の最前線で作業に当たっている方は、派遣の日給雇用社員と聞きます。
テレビでは日替わりに有名大学の専門家らしき学者をゲストにスーツを着こなし語り続けています。
そろそろ、裏番組も一般の放送番組にシフトチェンジしてきています。
最近電話で話した九州の友人は静かに平和に暮らしていました。
それでも、スーパーでは買占めがあるのだそうです。


この山は
国中の観光地や、あちらこちらの山でも見かけるような、ハイヒールで登れるほど簡単な山ではありません。

ブームだからといって、3000mを超える富士山を軽んじて、アミューズメントパークに遊びにいくように、ハイキングにでも行くような軽装で登る姿は、
日本の国そのものにたとえることができそうです。

富士の頂上から拝む朝陽は神々しく絶景ではありますが、一旦暴れだしたら手に負えない山でもあります。
みんなが身近に見える、誰もが知っている山ではありますが、その本当の姿は活火山そのものなのです。

富士山の隠されている恐ろしささえ知らない日本人が富士山に憧れます。
きれいな自然の景色に見せられてブームさえおこる自然の魅力ですが、その恐さは計り知れないということを教えられました。

私達人間は、もう少し多くを自然から学ぶときのようです。

これを受け入れることから、立ち上がるしかありません。

俄かに、多くの励ましの広告やイベントが増えました。
(それらの多くは、自らの身銭を切るものではなく、他人から集めましょうという、他人の懐をあてにしたものです。それでも何もしないよりは遥かにマシではありますが‥‥)
私の拙い経験の中から、自然の脅威を嫌というほど知っている私は、
本当のところはそんなもんでは解決しないと思えてならんのです。

まずは被災に遭われている皆様が耐える力と生きる力を堅持されますようお祈りいたします。

自然はいつか晴れ間をくれます。

人間が自惚れて作った原子炉は壊されても、長年に渡って培われてきた文化は残ります。

自然は暴れる反面、人間に優しく、
回復のときを与えてくれます。

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by sportssmart | 2011-03-27 22:12 | 命・育み | Comments(0)
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私の住む処は嘘のようにのどかです。

 

東北関東大震災、発生から10日が過ぎました。
寒空の中で、一瞬にしてすべてを失った被災地の皆さんにはただただ祈るしかありません。

 電気が止まり、電車が止まり、通信が途切れ、道路が寸断し、空のダイヤが乱れ、燃料が切れ、暖房も止まり、足も連絡も何もかもがストップして、ひたすら時間の過ぎるのを待つしかない状態が続きます。
 少しづつすこしづつ回復に向かい始めている知らせを聞けるようになってきましたが、被災地の方々にはまだまだ大変が続くのかと予測されますが、今の私には何の力になれることも見つかりません。
 いたたまれない「思い!」だけでいたずらに動くことは出来ません。

 多くの方々がささやかでも「思い」を動かし、何か出来ないかと小さな一歩を踏み出しはじめています。
 この小さな一歩が大きな恵みを生み出すことは予想がつきます。

しかし、いつの段階で、どの段階で動くことがいいのか……
遅れれば命取りになるし、急ぎすぎると届かないし・・・・・・

原子炉爆発と放射能漏れにニュースはかぶりつきです
原因を探り、責任を求め、素人には到底難解な仕組みを解説し続けています

と言っても今の私には「思い」の他は動く足も金も何もありません。

あるとすれば・・・・・・
山登りや野山を歩くこと自然の中での活動を専門に学び、体験し、大小の集団を動かし、度々の危険や遭難を経験してきた知識と経験が人を安全に導き生還へのお役に立てるのではあれば幸いです。

 人類が経験したことのない大地震と大津波をいっぺんに受けたのですから、山も木も道も家も、電気も電話も 頑丈であったはずの原子炉格納庫も冷却ポンプも 何もかもが誰の責任でなく、何の原因でもなく破壊されたのです。

まず、このことを最初に私達は受け入れるべきでしょう。

自然の脅威が収まり、地殻や天候が回復に向かい、晴れ間が出たとき、ここからが生還に向けての戦いになります。

 雪山で遭難し、右も左も上も下も、天も地もわからないほどのフォギー(霧)の中で数日を過ごしたことがあります。
 どうなったのか、生きているのか死んでいるのかさえ自分自身も何も考えられないうちに時間は過ぎていきます。その時間の過ぎていっていることさえ感じられません。
 そこにあったのは親からもらった体と「運」ひとつであったように思います。
勿論後になって鍛えていた基礎体力であったり、気力であったりと理屈がましいことは付け加えられるのですが、そんな理屈や論理で助かるものではありません。

気がつかないうちに這い上がり本能的に仲間の消息を探し、ストックの先にぶつかる硬いものを感じたとき、夢中で地面をほじくる犬のように雪をかきだしていたのを覚えています。
 どのくらい経ったか定かではないが、友の体を掘り出し、抱き合って泣いた経験は鮮烈です。
 不思議なもので、自分だけでなく仲間と二人になったときからは、周りを見渡し、状況を考え道具になる物を探し、目安をつけての救助行動を冷静に行ったことを覚えています。
 しかし、そのとき、自分が怪我していたことも寒さに震えていたこともまったく覚えていません。
助かってみて、あとから寒さに震え痛みに耐えかねた記憶があります。

自然は偉大でです。
自然は私達に多くのこと教えてくれはするけど、
私達人間は自然を自由に操ることなどできはしません。

 こんなときでさえ、自然さえも支配しようとする企みをもつ人間の浅はかさです。
こんなときでさえも、何でもどうにでもなるくらいの「何とかなる・何とかしてくれる」くらいの他人頼りの日本という国と日本人というものが見えるような気がしてなりません。

私が、現地に我先に入ることが出来るなら、まず先に唱えることは「耐えるとき」の「仕方なさ」と「ときを待つ勇気」の「要る」ことでしょう。
何といおうと、何を叫ぼうと人知を超える偉大すぎる自然の力には勝てないのです。

今回は小さな小山のハイキング中の迷子や捻挫程度のことではないのが現実です。

自然の中に雷が落ち、野火に追われた動物達も数頭の群れは犠牲になっても生き延びる群れもあります。
何日も続くスコールの中で生還する耐力と知力に勝る生き物もいます。

 いまこそ、日本という国、日本人、を超えて人類が英知を結集しこの自然の驚異を克服し力をあわせて生還する大きな挑戦のときと思います。

 それぞれの道の専門家が英知を結集して難問を解き、それぞれが力をあわせて耐えるときと耐えることが求められています。

 あれやこれや求めることばかり、誰や彼やに責任をなすりつけている場合ではなく、待つべきは待ち、耐えるところは耐え生きる知恵と力を発揮するときではないでしょうか。

ましてや、国の安全国民の安全を第一に考えなければならないはずの政府が、党利党略を超え一致協力して向かわなければならない局面です。

誰しもが知っているこの段に及んで、その本質を見抜かれるようなことは避けるべきときです。

誰もサボっているわけではありません
誰もが、今出来ることに向かっています。

道路が隆起し、陥没し寸断し、輸送の手段が途絶えました。
電力も破壊され、配電が届きません。

自衛隊が総力を挙げて支援に当たっています。
国中が「思い」を伝えようとしています。

日本という国、日本人が試されています。

 こんなとき、一気にリーダーシップを取れる人がひとりでも居てくれると多くの人は心の安泰を感じます。
集団の導きが必要なときです。

こんなとき、ニュースは期待する美談を求めて予想される答えを期待したインタビューを試みたりしています。
何を伝えるべきか、何が先決事項か、報道の使命はどこにあるか
わが国における普段からの報道のあり方も暴露されるときです。

 実際の、突然の自然の脅威の中から蘇るということは、そのひとつひとつに説明など出来る状況ではないのです。
そのことを、私は身をもって知っています。

自然の脅威と、自然の驚異。
これを知っているからこそ、自然に敬意がもて、嵐の中で耐え待つことが生還につながる最善の行動であることを知り、暗闇の恐怖に、いつになるかわからない恐怖に勇気を奮い立たせることが出来るのです。

経済力と乱立した(見せかけの)学校(教育)にモノをいわせて、
何でも支配し、何でもどうにでもなるくらいの思い上がりの風潮を醸成してきた教育先進国日本に、
どうにもならないことがあることと、
人間の底力こそが生きる最後の手段であり、
人間として、もっとも必要とする準備すべき「教育」は何かを考えさせられるときではないかと思います。

この期に及んでも、この最も奥深くにある「核心」に気付かぬままに、
物理的解決だけが先行することは人として大事な学習をしないまま卒業していく今の大学生高校生、はたまた子供達に似たことになります。

いませねばならない専決事項を優先し、被災地の救済に全力を注ぐべきときです。
この学びの機会に自ら学び、気付かなければ、この先には何も残りません。

こんなときでも、我先にと急ぐ者がいるかと思えば、他人事の者も見かけます。

「耐えるとき」というものがあることを自然は訓えてくれます
「力をあわせるとき」というときがあることを訓えてくれます。
自然は「知力を働かすとき」を与えくれます。

雪山に登ったり、滑り降りたりが仕事のひとつの私ですが、山にいるときの私は精悍で幸せです。
自然とうまく気持ちよく付き合い、力づけてくれ、慰めてもくれます。

いまは、山に近づくことも許されないくらいにいろいろな条件に不足しています。
何も出来ない自分にただただ耐えるだけの自分です。

しかし、たったひとつ、出来ることが残されているとすれば、ともかく、今の現状を耐え抜くことの重大さを伝えることです。

私には「耐える・待つ」底力を経験的に持ち合わせています。
じっと耐え、待ち、いまだ!という時を逃がさずことに及び、「生還」したいものです。
こんなとき、傍にいてでたらめに大騒ぎする者がいたとすれば、生還は危ぶまれます。
危ぶまれる生還にも勇気をもって挑戦せねばなりません。

この停電、不通、物不足の麻痺状態の中で、
私の仕事も相次ぐ中止キャンセルを余儀なくされました。
大きな痛手です。

しかし、被災地の皆様に比べればなんのこれしき!

仕事のない分、時間はたっぷりあるのですが善意のボランティアが出来るほどの軍資金がありません。

日本には世界に冠たる企業がいっぱいあります。
たとえすっからピンになったとしても、
いまは富める者が多くを負担すべきときではないでしょうか・…・・・
そこまで及ばなくとも、それに近い動きは感じません。

もし、私が富める者ならば・・・・・・・・・・・・
気持ちだけが先走りする思いです。

「無い」からいえるのかもしれませんが・・・・・・・・

自然の成せるワザに多くの人が傷つきました。
自然のなしたワザに、人間の無鉄砲な思い上がりを感じました。
(核燃料や核開発、放射能拡散などなど・・・・
 ・・・・・自然の脅威を無視した行為や開発・・・など等・・)

自然の偉大さに調和する、人知の結集を期待します。

そして、被災地の方々に自然への挑戦は耐えることから始まることを
私の経験を通してお伝えすることで
私の出来るお手伝いに代えさせていただけるなら幸いです。
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by sportssmart | 2011-03-21 19:32 | Comments(0)

幸多かれ

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3月5日。
若者の新たな人生の門出に乾杯!

祭壇に向かい、永久の愛を誓う二人に祝杯を!

人生は長いようで短い、人生はいろいろ。
生きているだけで幸せがあるものです。

何かにぶつかるごとに、何かある度に死んでしまっていたら
この日の幸せには廻りあえません。
生きていてこその幸せが今日1日を包んでくれました。

この幸せがいつまでもいつまでも
ここにご列席の方々、若い二人を祝福してくださる全ての人たちに
永遠でありますように・・・・・・・・・・

子供達がみな嫁いで、人生、振り出しに戻りました。
今日まで支え続けてくれた恋女房と出会ったころの時間に戻ります。

神様、あと10年、あと5,6年は動ける体と時間をください。
そしたら、その後はゆっくりすごしましょう。

「親」という重みの少しを降ろせて、身軽になったいま
私には、もう少し、することが残っています。

神様がくれる時間を大切に使わせてもらいます。

幸せの涙がいろいろなことを考えさせてくれた1日でした。
旅立つせがれに乾杯、花嫁に乾杯! 家族に乾杯!

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by sportssmart | 2011-03-06 21:46 | 本当に大切なこと | Comments(0)