Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

カテゴリ:教育/学校( 48 )

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7歳~9歳の子供達とのニュージーランド遠征(2006~010年)
こんな小さな子供でさえ、言葉など問題ではない、国、人種を越えた、生の人間同士の通じ合い、交流、世界に通じるということの何たるかを、その目でその肌身を通して知っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

英語教育早期導入
大学入試制度改革 秋入学 人物評価優先

次から次に教育に手を入れ始めています

根本は何も変わっていないような気がしてなりません
また、変わらないような気がしてなりません

寧ろ、見かけの競争を激化させるような気がします
何せ、誰かに「評価」されなければならないのですから・・・・・

せっかくのその子の良さがあるのに
合格に結びつかない良さは役に立たないのですから
これ見よがしな、わざとらしい上辺だけの人間を作ってしまうような気がします

グローバルな世界に通用する日本人を育てたい のなら
そういった人間を育てられる環境づくりと指導者を育てなければ

英語が喋れても世界には通用しない人間もいます
「評価」よろしく最高学府をでても、社会に通用しない輩もいます
人の痛み、人の辛苦を知らない役人もいます

まずは、人としての基礎基本が身につくような環境と出会いがなければ・・・・・

いま、それぞれに違う3つの学校と1つの研究機関と関わっていますが
強運といえど、地べたを這うような綱渡り人生の私には
そこに集う先生たちは どうかなァ~ 
この人たち人間の暮らしってものを知ってんのかな?
って感じることがしょっちゅうです

生徒の今とその先のことや
子供の幸せを願う親の気持ちや
組織として力を合わせてこの国のための教育や人づくりに向かおうとか
そんな誠意や熱意は一切感じません

たまにそんな人と巡り会えても
そんな人は学校や組織の中で四面楚歌・孤軍奮闘の中にいることがしばしばです

相手がされたい親切でなく
自分がしたい親切をして、自分が満足している図柄です
教育も似たようなもので
相手の成長、相手の人生への応援支援ではなく
自分の満足に満足していることにさえ気づかない 錯覚の世界のような気がします

特に、特別支援学校の仕組みは
教育支援の意をなしているのかどうか・・・・
ただ預かって時間を過ごしてお金をもらっているようなもので
子供達の自立のための教育支援とはいえないようなことがいっぱいです
こんな素人がそんな風に感じるのですから 世間に公開したらどう思われるでしょうか・・・
先生たちは一所懸命やっていると信じ切って一所懸命やってはいるのですが・・・
ただ「仕事」をやっているだけだから、本当に必要なことに気付かないのでしょうねェー

グローバル、インターナショナル 世界に通用する
の本当の力って その人の持っている内なるものが「本物」でなければ通じないってこと
お役人は知っているのかなァ~

気概気骨のある青年を育てなければ
そんな青年に育つ子供の時期にその環境がなければ・・・・

世界中どこに行ったって 自分は自分だぜ
身についた本物でなければ
作られた偽物では通じないでよ

もっと遊ばせて
人の痛み辛みを感じて知って
ともに喜びともに笑い
飲んで食って騒いで泣いて
いつか分かれて独り立ちして
躓いて躓いて、やっと自分のことが見えてきて
やっと世間(世界)と渡り合っていけるほどになろうというものだろうに・・・・

人との関わりの少ないところで
どこかに入る、誰かに教わる、何かに頼る、資格、検定、教わる、教える
そんなことで 世界に通じる人間が育つのかって

楽して儲ける ことしか知らないご都合主義な子供達ばかりが育って
大人になって、家庭をもって、親になって、子供を産んで、育てて
素晴らしい悪循環が回っています

この辺りを根本からなんとかせねば・・・・ネ! 

世界に通じる って どんなこと?
世界に通じる人ってどんな人?
何かを成した人でなければ世界に通じた人ではないのかな?
名の売れた人でなければグローバルではないのかな?


先ずは、その「人」 が先 ではないかな?
先ずは、しっかりした「日本人」つくりが先ではないか?

ちがうか、お役人?

教育で世界を変える って先の長~い、大変な仕事だぜよ。
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by sportssmart | 2013-11-02 19:46 | 教育/学校 | Comments(0)
知ってか知らぬでか
日本の遅れを今頃になって躍起に取り戻そうとしています

英語早期教育に着手???

私は幸運にも5つの国を訪れ友人を得 いまでもメールやskypeを通して交流しています
年に一度はスキー場で顔を合わせ素敵な時間を過ごす仲間もいます。

最初に訪れた国はフランス・オーストリア
まだまだ海外遠征など珍しい頃の子供達を連れたスキーキャンプでしたが
フランス語ドイツ語の世界で 何の不自由もなくいられたのは何故でしょう
いまでも不思議です

次はUSA。オレゴンの山の中でしたが
大してしゃべれない私にとって、これも言葉の壁はありませんでした。

しばらく時間をおいてブラジル
これはサッカーコーチするなら本物をと日系の方を頼りにこのチャンスに恵まれたのですが
ポルトガル語の世界でも、同じプロフェッサー(教師)として迎えられ親しくしてもらえました
言葉の壁があったにせよ、決して大きかったわけではありません

その後に、ラグビーの勉強でニュージーランドと深くかかわり、今でも関係は続いています
そして、スキーの仕事でフランスへと広がりました。
この仕事では
スキーを通してアジアの国々の方々とも多くの既知を得ました

言葉はそれぞれでも 人と人がつながることに大きな問題はありませんでした

いま新聞紙上を賑わせている、英語教育の取り組みに どうしても腑に落ちないことがあります

中学校程度の語学力しか持たない私が
どうして困ることもなくこんなに広い世界の人たちと国を越えた友達でいられるのか・・・・

確かに
言葉を使いこなせることはとても大切で有利なことです

しかし、
その前に人と人がつながる人としての基礎がなければ・・・・・

たとえば、
どんな相手でも一人の存在として認めるリスペクトのこころ 相手に敬意を持てること、示せること
どんな人にでも親しみをもてること、感じさせられること、フレンドリーであること、カインドリーであること
どんな時もどんな相手にも自分を飾らないそのままの自分でいられること、オネスト
どんな相手にも話しかける行動力や勇気があること、アクテビィテー カウレッジ
チャレンジすること、試みること、トライ!

国々の言葉文化風習 ルールマナーが違う世界、それぞれの価値観ルールマナーが違うということはノールールな世界と同じです
ノールールの中で人間ならもっている心のルールと動物の一種でもある人間が持っている本能だけが共通の持ち物です
そんな中で、頭の中だけの勉強でやっていけるのか???? この先が見ものです。

この日本の教育制度で育った子供たちが世界に羽ばたいたとき
いつか「化けの皮」がはげる時が来るような気がしてなりません

本当に世界に通じる力をつけたかったら
実戦しかありません 体験がすべてです
その実戦や体験に十分耐えられるだけの力こそが本物の世界と互して通じる日本人が生まれるような気がします

人としての力を身につけさせてやることこそが教育ではないでしょうか????

今週、出前授業におじゃましている小学校で
子供達の無邪気さに比べて
先生方は何をしているのかな????
何を教えて「先生」をしているのかな
って思えずにはいられないことがいっぱいです・・・・・・・・

物事の「核心」を抜きに
周りのことばかりに力を入れて、固めてしまっては
中身のない饅頭と同じ、鉄筋の入ってない高層ビルと同じで
何かあればすぐに崩れ落ちてしまうでしょう
外壁に隠された中身には不安不審が露わです。

高学歴、高尚なお役人達の考える国際教育が単なる英語教育で賄えると考えているなら
あまりにお粗末なバカらしさ と
現場で育った私には つくづく思えてなりません・・・・・

どうですか?

日本基礎教育研究所 を立ち上げて学校巡りをしているのは
この基礎中の基礎教育の大切さに気付いてもらいたいからなのですが・・・・・・
3つ児の魂百まで といいますが
小学校年代に身に着けたことは子供達のその後の人生に(潜在的に)大きく影響します
現場の先生方が気づいてくれなくては・・・・・・

教育格差は教師の差 は本当です
教師は誰が作るのでしょう 誰が育てるのでしょう
どんな人が先生になるのでしょう

国の基本、国のレベルが 大きな壁かもしれませんね・・・・・・
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by sportssmart | 2013-10-25 11:41 | 教育/学校 | Comments(0)


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10月22日 出前授業









今日からある小学校で4日間の特別時間割で
人として大切なことを伝える教育プログラム「ラグビー出前授業」が始まりました。

毎日顔を合わせる先生でなく
外から来る知らないおじさん先生に習う授業は
慣れ親しんで知り尽くした先生より子供達には聞く耳をもつ教育効果もあるようです。

しかし、
50年という半世紀も離れた今時の子供達の現実はどうでしょう
子供の感動や元気は昔と少しも変わりません
子供は子供、いつになっても子供は子供の良さ素晴らしさを持っているものです

でも最近では、そういう子供達の中にも
ちょっと待て、おかしいぞ?? っという子供がいるものです
そんな子供の集団の様子の違いは子供の様子の違いではなく
担任の先生のちがい によることが多いのですが

全くその通り!

先生の指導力によって
そのクラスの雰囲気、集団のあり様が全く違ってきます

今日は3クラスをみましたが
明るく元気なクラス、すぐに誰とでも仲良くなれる子供たちのクラスの先生は
子供達を慈しみ、子供達の中に入って一緒に戯れる、明るい元気な先生でした

動きの鈍いダラダラしている子供の多いクラス
友達とチームを組めない、人好みの極端な、このまま中学生になって思春期にはいったらちょっと困ることになりそうな子供が多いクラスの先生は
まだまだ若いのに溌剌さのない、人との関わりが苦手そうな感じの先生でした

教師力とはいいますが全くその通りです

子供達にとって
先生との出会いがどれほどその先に影響するか……
出会った先生のカラフルな個性が生かされることは大いに結構なことですが
出会った先生によってライフスキルの欠如のまま大人になっていくこともあります

子供をどの方向に導くのか・・・・
教師の資質力量にかかるところです

あちこちの教育現場を訪れることが多いのですが
現場に若い教師を育てる力がなくてはなりません
どうも、この力が不足しているようです

職員室の空気はどうなんでしょうか・・・・
先生方の人間関係はどうなんでしょうか・・・・
人生の切磋琢磨はあるのでしょうか・・・

就職という「仕事」に就いて、
「仕事」のための「仕事」をしている先生ばかりが多いように思えて仕方ありません
教育という「仕事」は 「仕事」とは違う味わいの深い仕事のはず

教師力の不足を
生活感のない官制の研修で賄いましょうってのには無理があるかもしれません
教師力を身に着けるにはもっと生身の人間にならなくては・・・・
もっと見習いもっと叱られ、もっと極楽トンボでタフで明るくなくては・・・・

職場が教師力を育て磨かなければ・・・・・

仕方ないさ・・・・・・・・、
校長でさえ自分の「仕事」のための「仕事」しかしていないことに気づくこともなく
校長に満足していることもあるのですから・・・・・
決して教育は「テガラ」ではありません
地区で優勝したり表彰されたりが校長の手柄ではありません
あれこれ珍しいことをして自慢することが誇りではありません

子供にとってどうか
子供達のその先の長い人生を見つめた人生の導きこそが教育ではないでしょうか
目先のことより(一つ一つの目先のことも大切ですが)
人とのよい関わりをもって、気持ちよく元気に正しく生きていく力の基をつくってやらなければ・・・・

教育力は即ち教師力 
大切なことです

参った参った!
学校の先生、しっかり頼むぜ!
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by sportssmart | 2013-10-23 03:21 | 教育/学校 | Comments(0)
a0111271_2341797.jpg被災地で
子供達と遊ぶ

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気仙沼市立階上小学校学童クラブの子供達と








(上の写真と下の文章とは同じ学校ではありません)



一般社会での、どこにでもある一生活者の私
何の保証もなく、あるのは住宅ローンと雨風しのげる屋根の下で家族と暮らせる安らぎ

そんな何の取り柄もない私は学校という教育場面にかかわり
学校の外から感じる学校と学校の中にいて感じる学校の(中にいては気づかない)「大きな差」を痛いほどに感じています。
指導教官という立場をいただいて、気付いたことをアドバイスする役割の仕事に関わっているのですがつい先日こんなことがありました・・・・・・

いくつかの学校で特別授業もしている私にとっては
普通学校に通う子供達もここ(特別支援学校)に通う子供達も遊んでいる姿は何も変わりはないように見えます。
この子供達に、もっといろいろな刺激や環境があったら普通学校で学ぶことができるのではないだろうか・・・・・そんな思いで芝生のグランドで遊ぶ子供達を見ていました
中には明らかに支援の必要な子供もいますが、多くは普通に見える子供達です
どこも違わない・・・・・・
運動の苦手な子 足の遅い子 積極的でない子 少し理解が遅い子、飛んでる子、そんなのはどこにいたってあることです
どこが違うというのでしょう

秋を迎えるこの頃になると、週に一度の出会いの私には、一週一週の成長が手に取るように明らかです

(私)
それぞれに違いがあって当たり前、それが普通のことと思うのですが・・・
ここの子供達には学校にいる間よりこの先にある長い人生を生きていく力をつけてやらねばなりません そのためには時には厳しい場面も必要でしょう
先生方は、みんな恐る恐る子供達に接しているように感じます
世間や親達からの苦情や評判にビクビクして、必要以上に遠慮しているように見えます
子供のこの先の将来を支援するということでも、今日楽しければいいみたいな機嫌取りばかりではいけないような気がするのですが・・・・・・

そんなことを長年ここで子供達と接している中年の女性教師と会話していたら
その先生がこう言いました

(女性教師)
私もそんなことを感じたときもあったのですが・・・・・
そのことを忘れていました
ここに来る子供達を最初から「特別な子」としてしか見ていないのです
特別な子だからついつい特別に扱ってしまうのです
若い先生方もどう子供達と接したらいいのかわからないのです


オットト・・・・・
(私)
先生、世間は学校というところは子供を扱うプロの先生方の集まりと思っています
先生がどうしたらいいかわからないでやっているとは思ってもいないわけです
しかし、現実の実態はそのとおりです
一所懸命やっていることはわかりますが世間や親達にしてみれば、わからないでビクビクして子供に接している先生方に子供を預けていることを知ったらどうでしょう

(女性教師)
学校というところの空気が新しいものを生まないのです
私もそんなことを感じたことがあったんです
そのことをすっかり忘れていました
普通の子と変わらない・・・・
違いがあって当たり前・・・・・そういう見方をしたことがありませんでした

(私)
若い先生方より子供を育てているお母さん方のほうがよっぽど子育ての先輩ですよね
その人たちからみたら、何やってんだ と言われるかも知れませんね

(女性教師)
ついつい学校の先生という「仕事」でしか「仕事」をしていなかった自分に気づきました
学校というところはそう簡単にものを言えて変われる空気はありません
若い先生がこの空気に染まって、そのまま教員生活を送るのです
先生がいる間に、ぜひ学校の空気を変えてください
若い先生方を育ててください お願いします


ここには、選ばなければ、普通学校に入れる力のある子供も通っています
これには敬服します
強い進路指導と区別化があったにせよ、
市内の通学時間に同じ年代とすれ違う中を まだまだ偏見の残る「特別支援学校」に通うのですから
その、今までの自分を知り、今までの自分と決別して
切り替えをして覚悟してここに学ぶことを選択した勇気と覚悟には心から感服しますし敬意すら感じます

社会はまだまだ普通と普通でないを区別し差別します
その中の狭間で生きていくには相応な強さと辛抱が要ることでしょう

学校というところが普通学校であれ特別に支援が必要な子供達のための学校であれ
子供達の「その先」に向けての教育の場でないなんておかしな話です
塾や教習所ではあるまいし、「学校」なのですから・・・・

世間が思う学校 学校の中に居て知る学校
大きなズレがあるようでなりません・・・・・・

生活実態のない官僚や公務員、利益を優先する経営者がつくる学校 と 人を育てる教育のための学校
そこにある実態には大きな差があるように思えてなりません

話の中のその女の先生は、若き日の自分に気づき
私もそんな風に考えていたときもあったのです そのことをすっかり忘れていました
と、何か目には見えない新しい力を取り戻したようでした

「先生が居る間に 学校に新しい風を吹き込んで、若い先生方を育ててください」

私にとっても力をもらえた、
私のしていることが役に立てることを感じさせてくれた言葉でした

教育で世界を変える
教育の力で すべての国ですべての垣根を越えて、違いは違いとして認め、他者を思う心を・・・・
先ずは、それに携わる先生(教師)方が変わらねば・・・・・

先ずは、この日本のこの地域、この町から・・・・

この国の土台を変えるには明治維新のような国をかき回すような大きな変革がなければ変わりようがないのかも知れません
教育現場がこれほどに頑固な鎧に包まれているのですから・・・・・

今日は、昨日のことを思い返し、
神が与えてくれた道筋に、
食っていくにはあまりにも乏しい不安を感じながらも
これでいいかっ?! と あきらめ顔の満足を感じながらの
まったりとした静かな1日でした
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by sportssmart | 2013-09-28 23:39 | 教育/学校 | Comments(0)
a0111271_935815.jpg北海道千歳市
千歳川
清流下り




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猛暑・猛暑の大騒ぎ
地球上のあちこちで
地球の、宇宙規模の変化が予想される異常気象現象が現れています。
ニュースは暑い暑いと騒ぎながら
どこのチャンネルもお祭り騒ぎです

そして、面白いことは
暑さで参っているというのに
暑さ日本一を競って喜んでいるのだからおかしなことです

人間の体と心は本能的に「安楽」を求めるようにできています
人間の体と心の機能は居心地良くいられるところ、ポジションを求めるようにできていて
体が自動的にそこにフォーカスする本能を備えています
ストレスから開放され、気持ち(精神的安定度)よくいようという心の働きも同じことです

これら全てを含めてホメオシタスメカニズム(恒常性)が働くようになっているのですが
40度を超す暑さ日本一を嬉嬉として、これを観光資源にして人を呼び込もうというのですから商魂凄まじいもを感じます
何でも商売にして
儲けましょう儲けましょう
目立ちましょう目立ちましょう

他より目立つこと
他より優位(この場合は優位?があてはまるかどうか)に立つこと
一番になること
そして、何より儲けること
そのためには人を呼び込むこと・・・・

(長年の日本の教育が競争原理を良しとして、自慢屋、目立ちがり屋を当り前としたのでしょう
仕事柄多くの他所の国の方々とお付合いしますが、決して「目立ちがり屋」で「自慢屋」ではありません、返って、控えめで恥ずかしがり屋であったりもします。違うのは「意見の主張」ではなく『言いたいことははっきりしっかり言う』ということができる「自己主張」とは違う明確な意志表示ができることです)

そんなことに優勢を感じ喜びを感じる日本という国
何かヘンな 何か解せない 感じがしてなりません


季節の中で暑い夏の盛りには避暑にでかけ
冬の盛りには寒さを避け
これが人間ばかりでなく動物の体が求める自然の行動です

しかし、これに日本一が付くと一変します
平泉、富士山がそうであったように
静かで孤高で望む人だけが足を向ける長閑な良さがあったはずのところが
世界遺産、日本一 が付いた瞬間から物見遊山が
何の理由もなく、唯、みんなが行くからという理由だけで群がりはじめます

それを待ち構えて利益を貪りはじめます

何か、どっか、違うような気がしてなりません

うんざりする暑さの一日は日陰でゆっくりしていることも
時の過ごし方のひとつでしょう
サバンナの動物達が1年中の気候の変化の中で
体の求めるままに涼を求め暖を求めるように
暑さや寒さの中でも食を求めて狩りに出るように
人間社会であれば、買い物や仕事に出かけるのです

暑さ寒さに大騒ぎして
一番を競い
これを売り物にして
有名、売り上げを自慢にしたい 人間社会・・・日本人

愛する人、家族という平和と喜びの最小単位が
暑さ寒さの過ごし方や
仕事があるか無いか、金があるか無いかの
日々こもごものことへのあり様を決めるかも知れません

家族と家で過ごす夏の暑い1日
遠くの人混みに出かけなくても
それだけで十分な幸せがあります

独りでいたって
周りの喧騒に同調しなくたって
素敵な時間の過ごし方があるかもしれません

自分勝手とはちがう
他者に振り回されない生き方

それぞれが自立した考えと解決できる方法をもてる力が必要です
(日本の教育が最も苦手とするところですね・・・・??)


事実の報道 平等公明正大 弱者への心 真実への探求 等など
本来あったはずの使命が薄れ、唯の煽りやになってしまった
マスコミの責任も大きいかもしれませんね

それに振り回される 日本? 日本人?


ひとつひとつの騒ぎ方に
それぞれとは言え
何かヘンな日本人
を感じる暑い1日です


因みに私がラグビーを学んだNZでは
季節によって人気スポーツが変ります(シーズンスポーツ)
夏の暑い盛りは朝夕の涼しい時間帯にクリケットを楽しみます
冬は日の高いうちにあちこちの公園で日本のそれのようにガッチガチの潰しあいではない優しいラグビーを楽しんでいました
疲れれば休んで語らい、暑ければシャワーを浴びてビールを呑んで 雨が降れば今日はなし です
何が何でもやらねばならぬ なんて雰囲気はさらさらなし
暮らしの中に 潤いの中にあるライフスタイルのひとつなのですね
それでも国際試合では国を挙げての闘志むき出しになれるのです
他者を受け入れる フレンドシップ と
心の タフネス はどこでどうして育つのでしょうか

古き良き時代の日本がそこにあるようなNZの国柄
NZに住み着いた日本人の友人が言っていました

日本は大切なものを失ったような気がして とても心配
どこにいても私達は日本人なのだから・・・・・・ 
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by sportssmart | 2013-08-14 10:32 | 教育/学校 | Comments(0)
野外教育活動専門家としての立場で感じる「富士山登山」

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8月は世界中の多くが夏休み(南半球は冬休み)です
世界中が一番暑く(寒く)多くの人が、余暇を使って旅に出ます
作られたブームに乗せられる旅ではなく
自分の、仲間との、家族との 時間を大切にするための 夏休み・・・・・

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a0111271_11204396.jpg仏・シャモニーからモンブランを仰ぐ

富士山より1500m以上も高く登攀困難な気高い山(グラン デュ ジュラス)
フランス人の山への敬意敬愛は決して大袈裟で、冬(夏)だけのものではありませんでした
ー2009年2月ー

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富士山が世界遺産になって俄かに大ブームです。

あの山に登ってみたい
あの山の頂に立ってみたい

ではなく、
みんなが行くから・・・・・


2008から09年にかけ
参加者が多く、しかも幅広い年齢層のパーティーになったので是非専門家の力を貸して欲しい ということで富士山登山のガイドを引き受けたことがあります

丁度熟年層に軽登山(トレッキング)がブームになりかけたころで
そのころでさえ山頂までは一歩進んで10分待ち
3歩進んで20分待ち の延々と続く長蛇の列で、黙々と登山している雰囲気などは少しもありません
サンダルの人、Tシャツ1枚の人・・・・ 水も雨具防寒具も持たない人・・・・

その夜は大荒れの日で小雨の中を夜半に7合目の小屋を出発して日の出を待つころに登頂したのだけれど30数人で出発したパーティーが途中で他のパーティーから脱落した人を拾いながら登ったので50数名に膨れ上がっていたことを鮮明に覚えています。

ツアー会社に俄かに雇われた経験も知識も浅いアルバイト添乗員が引率するのですから危険極まりないものでした。
暗闇の雨の中での登山、
体力を消耗してペースの遅れた仲間をどんどん置いて行ってしまうのです
こちらは幼児からお年寄りまでの幅広い集団
無理なくゆっくりゆっくり
ワンフォーオール、オールフォーワン ひとつのチームですよ
1人の落伍者も出さず、みんなで助け合って山頂を目指しましょう
決して無理なく ゆっくりゆっくり・・・・・・
と道端に置いてけぼりにされた落伍者を拾って倍近く膨れ上がった集団を休み休み引き上げたことが富士山登山を忌々しい印象にしたことを覚えています

家に帰ってから、その日のニュースで、下山途中にアメリカ人の登山者が道に迷って?低体温と疲労で死亡したことを知りました。
自分のことで精一杯なのか、弱っている人に声もかけない都会からのツアー登山者・・・
この夜は今まで経験したことのない、異様な富士山登山だったことが印象的でした。
道端に弱って座り込んでいた外国人に声をかけたことを思い出し、
もしかしたらあの人かな なんて思うと富士山登山の実態のおぞましいことたるや・・・・・

日本人のわけもなくブームに飛びつく体質、これを煽る世の中・・・・・
とても残念に思えて仕方ありません。

自然の中に溶け込み、自分自身に問いかけ、心洗うはずの登山が
富士山登山のアレでは台無しです・・・・・

世界遺産になったはいいけど
富士山の存在と、登山の意味、味わいを もう一度考え直してみてはどうでしょう。

只、儲ければいいのかな?????
世界遺産という 箔 と 名 だけが欲しかったのかな????
実をもたない 名 に走る人が多いのがこの国かも知れません・・・・・

世界遺産という称号をいただいて、その価値はどこにあるのか
人々の本当の豊かさってどこにあるのだろうか って思います。

山の勇姿は遠くから見ると美しいものですが
間近に行くと自然の厳しさ・猛威が口を開けていて、その残骸は痛々しく毒々しいものがあるのも人が近づけない山なら近づけないほどに大きいものです。

山深い緑と空高い雲上の冷気に身を置いて孤高を味わう別世界は格別です
しかし、誰もが簡単に近寄れるものではありません

文明は人間を何でもできる、何でも手に入ると 傲慢に大柄にしてしまいました

そっと、遠くでみる姿に
山から教えられる 何か があるのでしょうに・・・・・・

人が押し寄せるからといって
看板を立て、売店をつくり、登山道を足場が悪いから、危険だからといってアスファルトにしてしまうようなことはせんといてな・・・

文明の及ばない、何もない山だから 山 なのですから・・・・・
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by sportssmart | 2013-08-03 13:30 | 教育/学校 | Comments(0)
縁あって特別支援学校との関りをもって今日で3回目

重度障害や知的障害をもった子供達が通う学校があります
中には、普通学級での学習活動でも何とかやっていけそうな子供もいます
ただ、ときどき壊れてしまうのです
でも、そんなことは普通学校の中にもときどきみられる光景です

普通学級で扱いに困って回されてくるというケースもあります
普通学校での指導努力の及ばない子供なのか
もう少し手をかければいっしょに学べる状態だったのか
凡その検討もつきそうな子供もちらほら・・・・

他者よりは違った特質をもった
この先の社会生活に支障や困難がありそうな子供達の
今と、この先への支援が必要な子供達が通っている学校が
特別支援学校です。


普通学校の先生になるには少し届かなかった人
地元に転勤を希望しても空きがなくて、配属希望者のいないここなら・・・・
といって我慢してここへの配属を呑んだ人
ここでよければという条件付で採用された新任教員
次の配属と役職をエサに回されてきた校長教頭

ズルズルと時間が経って腰を落ち着けてしまった教員
地元に生活の拠点を設けて出先のないまま年月が経ってしまった教員

特別支援に必要な資質・キャリアはなんなんでしょう

子供達に本当に必要とする今の支援と、この先への支援
この子らの人生への支援を思うとき
これでいいのかなぁーって思います

毎日毎日一所懸命取り組んでいることはよくわかります
他人の嫌がる仕事をやっている毎日に頭は下がります

でも、
なんか的外れな感じがしてなりません

ただやっているだけのような
子供達のことを思い労りをもって接しているような錯覚はしているけど
本当はどうなんだろうって感じます

こんなことを言うと、
一所懸命取り組んでいる?先生達は
聞く耳をもつだろうか

そのことにも心が痛みます

十分以上に予算を取って、
子供達にとっては至れり尽くせりの施設環境の整った特別支援学校
外壁は整っても内壁はどうか
一番重要な人的資材はどうなんだろう・・・・・

あちこち廻ってみて
学校って、支援って何んなんだろうって
つくづく思う
おかしな日本です

もっと本音で話せる
もっと本音で語れる人がいるはずですが
その声は小さすぎます

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by sportssmart | 2013-05-17 20:57 | 教育/学校 | Comments(0)
田中真紀子文科大臣 ワイルドだぜィ~!


大学の乱立に一石を投げたかった田中真紀子文科大臣
バカ養成所みたいな馬鹿者(若者)収容所みたいな大学で溢れている昨今

田中大臣の思いは解るような気がするが…・…
同じように思う賢者も他にいっぱいいるのではないかな?

時には目を見張るような若者に出会うこともあることは確かなことで
そんなときはとても逞しく思って、嬉しくもあります
まだまだ世も捨てたものではありませんね

大学で学んだことより、世間から学んだことの方がはるかに多くて
遥かに役立っています・……
こんなことならもっと早く世間に出るべきだったかな
確かにバカタ大学を出たことも助けにはなっていることもあるが
時には名乗れないほど肩身の狭い思いもさせられますよ

狭き門をくぐらねばならぬくらいに
一生懸命勉強せねば入れないくらいの大学数でいいのではないかな

バカでもアホでも誰でも入れる大学というのもどうだろう
これが教育機会の平等化なのかなァー

いまの若者を見ているともっと教えなければ(鍛えなければ)ならないことが
他にいっぱいあるような気がしてなりません

そんな広き門の有名最高学府を出て高級官僚になった役人が考えた大学設置基準は
質よりも金と器が最重視されるものです。
大学経営は他人の懐(国のお金と親の金)でできる最高のビジネスでもあるからね……
そもそも認可も下りない内から建築や募集が始まっているのですからどうでしょう???
なぁなぁというかデタラメというしかないようなことではないのかなァー  
なんて感じてもおかしくないような…


いじめ さえボンクラ大学出の教員達で「いじめの定義」をしてしまうのだから・…凄い!
いじめってそんな簡単に形に(定義)できるかなァ~???
いろんな要因いろんなパターンがあって一概にコレって言えないと思うんだけど……
一旦定義してしまえば これはいじめ、これは いじめでないって簡単に処理し易いからね
こんなところにも簡素化か…??
こんなところでもシステム化、IT化か?
子供たちに向かう心はどこにいっちゃたんだ????
先生のこころが見えないね?

田中大臣の 教育を何とかせねばいかん という思い
わかるような気がするなぁー

みんなこの「教育」を受けて大人になってきたんだからなぁ
この教育循環が次の日本をつくるんだから
この先、世の中もっとワイルドになるぜィー!!
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by sportssmart | 2012-11-09 00:21 | 教育/学校 | Comments(0)
教員レベルに喝!一発ぶちかましタレ! 

いじめ
 いじめ問題が後を断ちません

教育現場の人間離れした記者会見での はなし
教育の端くれにいる(関っているつもり)私は 呆れた口が塞がりません

いじめ!といわないまでも嫌いな奴への嫌がらせみたいなことは
出来てない?未熟なレベルではどこにでもあることです よ ね???

どこの社会にもあるように、
教育界内部そのものにも明らかにこの『いじめ』があるんです よ

デタラメ・好き勝手に学校を仕切っていた?グループがいる学校に着任した時のこと
大いに飲んで食って授業もそっちのけで部活に現を抜かして・・・
そんなことが許されている時代・・・・
気分次第の体罰以上の愛の鞭も認められる時代でした・・・・・

それまでの流れなど何も知らない私は極当り前に授業をし、
親しき仲にも礼儀ありで、当り前に子供達と接していることが奴らの鼻に着いたのでしょう
少しづつ少しづつ空気が変ってきました。
一般社会人を経験してからの教員で、大人だもの、空気の変化を感じないわけではありません

あまりのグータラな教員達に腹の虫が納まらなくなったある日
そのグループを仕切っているアホ教員とその子分達がいつものように
部活マネージャーの女子生徒を召使にのように使ってデタラメをしているところで
見るに見かねて言ってやりました。
「そりゃアカン、こんなことではイカンぜよ!」って

そしたら、次の日の朝 机が外に出されていました
ここはお前のいる部屋ではないぞ という暗黙の見せしめです。

いささか不愉快ではあったけど そこは役者が一枚上
机を元に戻し、平気で何もなかったように
以前よりももっとしっかりと教師としての範となる仕事振りを続けました

飲み会があるといえば変らずに参加するし、何かあれば率先して仕事に取り組み
ときどきは奴らと一緒に馬鹿もしました

何も言わない何もしない誰にも言わない(強い清い?)空気は奴らに少しづつ響いてきたようです
暗黙の間に奴らの居場所がなくなっていくのを感じていました。

それでもそんなグループに媚振って離れない若手もいるそんな力関係も続いていました

そのアホと2人きりになったときに
「おまえアホか?大の大人がこんなことやってんじゃないよ、自分の子供に見られたら恥ずかしいと思わんか?
女房子供がいるんやろ、世の中にさらけだしたるでぃー!」と一発ぶちかましてやりました

あまりの凄みと物怖じしないその空気に奴はニコニコと愛想を振りまきはじめ
その夜はその子供みたいに無邪気なバカ教員と楽しい飲み会をしたことを
いまは、古き良き時代と思い出します。
勿論その夜の会計は「(世間に出されたくなかったら)おまえが払え」と言わんばかりに、奴に支払わせたのは今でも愉快です。

今では奴はなんと思っているか・・・・
けれど、今でもたまに会えば相変わらず可愛らしくも媚を振ってくるのは
性根がバカなのでしょう・・・・・
バカだからいじめをしても気付かないで、悩まないでやってられるのでしょうね

奴らを制する者は誰もいない状態の学校の中で
奴らを制御する役割は私になりました。

奴らは妙に「まっちゃん」「まっちゃん」と擦り寄ってくるようになりました
そんな可愛らしいところもある連中なので
少しは一緒に羽目をはずしながらも少しづつ少しづつ正常?に戻し
嫌われているのはわかってはいたけれど仲良くやっていました

そのときは、机を出すなんてことをする幼さに呆れたけれど
それが生徒ではなく試験を受けて正規に採用された教員であったことに
今更のように驚く世界です。

こんなことは極々一部のことで、教育という正しくあるべき世界で、
世間が知ったら驚くようなことはいっぱいです

少しは世間を知っていた私だから世間との違いやアホらしいほどの世界を感じたのであって
学生の延長みたいな、世間を知らない人間で構成される教員社会だから
いじめの意味も痛みも味もわからないのかも知れません。

どこの世界にも好き嫌いがあり、合う合わないがあるものです。
合わないからといって、好きでないからといって机を追い出してしまう
それを見ていて、なんとも出来ない・・・・・
テレビで教員(校長)の記者会見を観て
えっ、まだそんなことやってんの
まだ気付かないの って呆れています。

そんなことないよ って言いたい教員がいるだろうけど
心の底では自分の痛み・自分達の痛みに気付いているはずです

だって、あなたは「教育者」をめざしたからこそ そこにいるのですから・・・・・

いじめの根絶 なんていえるのは何故かわかりません
人間社会の暮らしの中にある人や他を羨む心、蔑む心は自然にあるはず
人間として、どのように過ぎていくのか
どんな人間であればいいのか・・・・  
  
哲学が必要のようですね

文科省の取り組みもどこかズレているようでなりません。

この役人の世界も本当に困ったことなどない、
世間に疎い学生坊ちゃんの延長線上にあるようで呆れます

していいこと、してはいけないこと
許せること、許されないこと
越えてはならない一線があること
はどこで学ぶのでしょうか・・・・・

子供の頃の頼り甲斐のあるお兄ちゃんと遊んだころに
中学高校時代のボスだったころに
何であろうと、悪いものは悪い良いものは良い の 絶対強い教員時代に
戻りたい思いの昨日今日の「いじめ」のニュースでした
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by sportssmart | 2012-09-19 02:00 | 教育/学校 | Comments(0)
支援 というお祭り騒ぎ
本当の支援とは・・・・・・


東日本大震災発生から1年5ヶ月が過ぎました。
被災地は時間と共に、少しづつではあっても回復に向っています。

あれほど性急に押し寄せた支援の波も、波が引くようにすっかり無くなりました。
自立自活への支援ですからそれでいいのでしょうが
まだまだ、支援が必要とされること、ところもあります・・・・
マスコミから置き去りにされた静かなる被災地のことには
誰も目を向けないまま時間が過ぎていっています。

スポーツを通して関ってきた子供達、学童クラブや小中学校では
少しの困難はあるにせよ、正常に時間が流れています。

普通??多くの場合、それぞれのところで、それぞれの文化・風土にあわせて
何気ない時間があるはずです・・・・・
元に戻ること って この何気ない毎日を取り戻すことを言うのではないでしょうか・・・・・・

あの、無理矢理な、押しかけるような支援?は何だったのか・・・・とふと思います。

今日、特別児童養護施設で子供達とラグビーやクリケットを楽しみました。
何気ない時間の流れの中に、
この子供達の背負っているこの先も解決しようのない課題が垣間見えます・・・・・

被災地の子供達は、多大な大袈裟なほどの支援義援によって時間と共に
この先に力を得ること、一時的な困難を乗り越えることができます。

今日出合った子供達は、理由も無く困難を背負わされて、ここ(施設)にいます。
ここで暮らす間は、漠然とでも時間は過ぎていきますが、
ここを出された時、次の安らぎはどこにあるのでしょうか・・・・・・

様々な事情、多様な環境を経てここにたどり着いた子供達が寄り集まって暮らす中では
グッドモデルに出会うことは多くはありません。
つい1月ほど前に入所してきた、たった5歳の汚れのなかった子供でさえ、
ひしめいて暮らす年上のお兄ちゃん達のすることを見て、暴れ方や悪態のつき方、
無理難題を押し通す術を身につけはじめています。

ここの子供達と接して5回目になる今日は、5歳のこども、11歳の子供、12歳の子供が
自分の居場所を見つけたかのように顔つきが変り、落ち着きを取り戻し、
この先に希望の光をもってくれた、ゆっくりとした時間を持てたようでした・・・・・
わずか5歳の幼児は、まだまだ甘えたくてギュッと抱きしめてもらいたくて仕方ないのです
愛くるしい瞳がそう訴えて私を見上げていました・・・・・・

しかし、私に出来ることは僅かなことで、すべての子供に希望と自立へのチャンスをプレゼントできるわけではありません。

子供達が背負っている解決のしようのない困難に負けないように 応援 が必要です。
施設の子供達にこそ外界との触れ合いが必要です・・・・
被災地に我こそはと繰り出したスポーツ選手、団体、芸能人、タレント集団は
TVカメラが廻らない、ニュースにもならない処への支援には走らないのでしょうか???

解決しようのない困難の中にある子供達には良い行動のモデル(グッドモデル)と、
もっと身近なところに希望の光が必要です

困難の中にある者へ「支援をする」ことにあれほどに騒いだ日本中の目は、
「困難への支援」に対する目をもっと身近に向けることができないのでしょうか・・・・・

日本という国と日本人ということに、そして
自分の微力さに心打ちひしがれる思いがした、今日でした。
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by sportssmart | 2012-08-14 00:30 | 教育/学校 | Comments(0)