Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

カテゴリ:教育/学校( 50 )

縁あって、
90年ほど前に女子教育の大切に想いをもって小さな家の2階の一部屋で始まったのがその始まりという今では立派に成長した私立女子高とここ2カ月ほど関わっています。
想いは、国の礎 乙女の学校ということでその崇高な教育理念の校是に心惹かれました。

が、実態は・・・
残念なことに今では当時の崇高な教育理念の欠片もありません。
授業はあっても、教育が不在です。
「教育」(女子教育)できる人がいないのです。「教員」はいるのですが「教師」がいないのです。
どうしても「先生」の職に就きたくてどこでもいいから教員採用先を探して集まってきた(採用された)教員で納まっているのでしょう・・・・・
現実の愚かさに気付いて早々に辞めていく人が多く、入れ替わりが頻繁になってしまっているようです。形を守ろうとするがために若者にあるべき明るさ溌剌さにも欠けがちです。そのくせテストの数値(評価)には敏感で、外部から苦情や注文には戦々恐々、生徒保護者への気の使いようが優先で、その程度の先生の集まりですから、なんとしてもしなければならない始祖の想いのこもった「教育」「女子教育」などには気付かないのでしょう。
校庭の隅にある始祖の胸像が淋しそうに校舎を仰いでいます。
私学は生徒集めに必死なのはよくよく理解できますが「教育」不在では私学の私学たる所以がありません。
立派な校是を自慢するにはお恥ずかしいほどの内実です。
春にはまた「先生」がごゾッと変わるのでしょう・・・残された、集められた生徒はどうなるのでしょう????
教育不在の学校に学ぶ子供達が可哀想でなりません・・・・
「授業」やIT教育 i Pat導入、素敵なHPつくりには目ざといのですが、始祖の崇高な教育理念はどこかに消え去ってしまったようです。
狭い私学という隔別された中で、独自の「教育」をするのもひとつの「教育」ではあるのでしょうけど、授業をすること、教えることに喜びを感じる塾の先生とは違う「学校」なのだから「教育不在」では最早「学校」ではありません。
長く中にいて要職に就けて喜んでいる先生が、「教育不在」に気付くこともなく、気付く力もなくいることに大きな問題があるようです。
校舎や制服や周りのカッコウばかりに惹かれて集まってくる、はたまた、集められてくる子供達が授業は受けても教育をうけないまま放り出されるのは可哀想でなりません。まして、そのまま女性になり母になっていくのですから校訓にある国家社会に貢献するなんてのは意に叶うものではありません。
「私学経営」の危険性とその実態をもっと明らかにすべきでしょう・・・・。




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by sportssmart | 2016-11-29 00:23 | 教育/学校 | Comments(0)
8月31日、急な病変で1カ月入院して、退院してからちょうど半年。
定期診断で病院に行ってきました。
医者が言うのに、これは治らないんですよ、もとには戻らないんですよ。
オリンピックを目標にしていた人が、パラリンピックに目標を変えなければならないのと同じです。パラリンピックを目標にしている人なら、それも諦めなければならないほどのことと同じなんですよ。車を運転して移動していた人が子供の乗る三輪車で移動するくらいなことで、諦めるというよりは考え方や目標を変えるくらいの気持ちで頑張ってくださいネ といことで半日リハビリの指導を受けてきました。

でも、体は動くし、まだ、生きているし・・・
何度道は塞がれてもこうしてやってきたし・・・・
God is my Fun! 神様は私のファンなんだ
神様は私のことが好きなのかな??!!
何度死にかけても、何度道が塞がれてもこうして生きているもんね。
生かしてもらえるだけ幸せ、
God is my Fun. 何度死にかけても見放しはしないんだから・・・・
方法を変えて、やり方を変えて・・・・最後まで・・・トライや!

小学校の頃は遊び呆けて、同じような遊び呆けている友達がいっぱいいました。
中学校に入ると部活動に入るということがあって陸上部に入ってみました。
何だかチョットちがうな?っていう感じでブラブラしていると社会科の先生だったかな?ちょっと強面のどことなく信頼感のある近藤先生からサッカー部に誘われました。
そこには、近藤先生のクラスの困っている生徒(らしき)もいて、チョッピリ不良の集まりのようでした。
アレッ?オイラも不良のひとり?なのかな?なんて感じながらもサッカー部で田舎の管内大会は総なめの強さを誇っていました。
それもそのはずです・・・
相手チームはこちらのフルバックを怖がって攻めてこないのですから・・・・
そのフルバックは今は亡き水戸優くんといって近藤先生の「困っている生徒」なのですからその効果は抜群でした。「オラオラこの野郎!打ったら殺すぞォ!」だもの
この最後のデフェンスラインを越えようものなら後で呼び出されて袋叩きにされてしまうという噂が飛びまくっていましたから・・・(実際そんなことがあったのですが・・・?!)
水戸君は子供の頃からの遊び仲間の自分達にとってはそんなことをするようなタイプでなくガタイと声だけが大きい優しい奴だったんですがね・・・・今思えば近藤先生も子供達の特性をつかまえて、常勝サッカー部を率いて楽しんでいたんだろうなって思います。近藤先生が生きていれば95歳か100歳近くになっているんだろうな なんて思いだしました。
秋の駅伝の季節になればチョット来いと呼び出され冬になればスキーのクロスカントリー競技のリレーで走らされ地区大会レベルでは優勝旗をかっさらってきたのを思い出します。これだって、部員がいなかったから取り敢えず穴埋めにだされたのでしょう・・???
今ならわかるけど、そのときは、あれやこれやのスポーツ仲間と楽しんであちこちの大会地に遠征できて楽しかったのですがね・・・
高校に入るとあちこちの部活を股にかけるわけにもいかないのでとりあえず陸上部に。
この陸上部というのが冬になるとスキー部に変身する部で運もあってかチョットは才能を発揮してか地域では目立った選手になるわけです。夏は陸上で冬はスキーで全国大会に出場する勢いだったのですが、そのお陰で、インターハイでの初優勝を目論む私立高校にスカウトされたりして、ちゃっかりアルペンで全国優勝しちゃうんです。
大学に入ればアルバイト気分で出場した日本最初の賞金レースで勝ち昇っちゃって新聞やスキー雑誌に載ったりして、当時はアマチュア規定というものが厳然とあってその後のインカレやアマチュア大会、全日本選手権等には出れなくなってしまうんです・・・・
それからはすっかりスポーツ人生も狂ってしまって・・・・・
思えば、どんな時も運が良くて、大して強くも速くもないのに周りが転んだり、躓いたり、水戸優君のように強烈な個性あるバックスがいたりでいつも上位チームに居たりシード選手であったり、優勝したり入賞したりのそこそこに、負ける敗者の味より「勝つ」味を味わっててきました。
勝つことから学ぶことは『喜びの中から或は「少ない痛み」の中から学ぶ』ことが出来るので多くのことを素直に真っ直ぐ受け入れることが出来ました。

このごろ、小さい子供達をみていると、強かろう弱かろう、速かろう遅かろう、勝ち負けに関係なく喜びも悔しさもみな平等に分け合って、そこにある感動や悔しさから何も学ぶことなく、また、学ばせることもしないまま、悪戯に慰めあって、ただ舞い上がって、時には直ぐに諦めてそっぽ向いて、勝てないことだけに拘って・・・が多いように見られます。
いい指導、いい指導者って何だろな?ってときどき思います。
資格をもっていることと、資格を取ることや勝つこと、勝たせることが指導者の自負するところという大きな勘違いが見え隠れしているようでなりません。
あっちでこっちで相手にされなくて、どこでも通用しないような「あぶれた」子供を集めて地域の優勝を楽しんでいた近藤先生。その辺のめぼしい悪タレを集めて人数不足を補っては自分の得意な夏の陸上競技と冬のスキーだけを楽しんで優勝カップを総なめにしていた大谷藤樹先生。
そんな変わった?恩師に出会えたからいまのスポーツ指導者としての自分がいるのでしょう。
そして、スポーツを通して子供を育てること、教育することの何たるかを机上の学問ではなく実地をもって学ばせてくれた「学びの世界・学びの過程」があったからこそ今があるのを感じます。
大学にいって何を学んで、何を身につけて現場に出るのでしょうか
職に就いてその仕事場は若い卵を育てているのでしょうか・・・
余程取柄があるわけでもなく、よほど勉強したわけでもなく、大学に入って、余程鍛えられて卒てきたわけでもなく、漫然と試験をクリアーして採用された「優秀な」先生達が子供に何を教えているのか・・・・

孫の小学校を覗いてみました・・・・
こんなんで・・・、こんなところに大事な孫を預けてはおかれない
と思いながらも、世の中の流れには逆らえず致し方なさを感じます
まだまだ人生の何たるかも人の心の機微も感じられないような中途半端な管理職が育っている現状が学校というところを退化させているようにも思えます。
なんでも子供中心で、子供の言うなり、親が求めるなり が学校ではありません
学校は子供の学び場所育つところ、子供の遊び場、子供が大人になるところです
学校は子供がつくる ところではありません
そこで子供に接する先生が学校をつくっているのです。
先生が、そんなんでは子供が学び育っていく「学校」はつくれません。
学校は先生の「遊び場」ではないのですから
人育ての原点を忘れず、上手に遊びながら、遊ばせながら、将来の、先のある人間を育てていかなければなりません。
今になって、気まぐれみたいにあぶれた子供達(生徒達)を集めて部活を楽しんでいた?先生達の崇高な教育観を感じます。
その中で育って、今の自分があり、時代と共にそんな自分が通用しなくなっていくのかと思うと一抹の寂しさを感じる最近です。

でも、そんなこと関係ねぇ~
「勝つ」喜びを味あわせながら、その中から敗者に心いく子供達を育てること、
道を変えなければならない時が来たとき、サッパリと次のことに挑める強さを残してやりたいものです。
「道を変えなければならない時」「究極の選択」を迫られるときは人生の中で幾度とやって来ます。いよいよ今までの道を大きく変えなければならない時はそう容易く変えられるものではありません・・・・
でも、変えなければならない、そんな時もあるでしょう・・・・
その時、子供達は、いまのこの時のいっしょに遊んだ日のことを思い出し、そのことが大きな力になるのなら いまの私は「いい仕事をしている」 のかも知れません・・・・

神様が見放さない限り、方法を変えやり方を変え、やってみようと再度のチャレンジに心を向けるのにはよほどの力が要ることです・・・
でも、最後までやってみましょう・・・少しばかしきつくとも・・・・


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by sportssmart | 2016-09-02 21:03 | 教育/学校 | Comments(0)
14日からNZに来ています
今回は昨シーズンスキーエスコートで知り合った生徒さんのところにお世話になりながらの子供達の交換交流のコーディネートリサーチが目的ですが連れてきた(ついてきた)孫2人と一緒についてきた子供の3人の子連れということで既にラグビー柔道、小学校授業参加と小さな交流が始まっています。
小学校に入れてもらって一緒に勉強に混ざって・・・・・・
つくずく日本の学校の画一性を感じます
みんながいっしょ、みんなが同じことを同じようにできなければダメ!みたいな詰め込み授業というか詰め込み教育というか・・・・・
そんなんじゃ子供の伸びしろが全然違うってことが肌身に突き刺さります。
自分で自分の生き方ライフスタイルを選ぶ力
他と違う自分でも気に留めることなく快適にやっていく力というか何というか・・・
自分の興味で学んでいけるシステムに同行の3人は大満足
こっちに転校したい んだって!
何が大切か、何がいいのか、目に見えて考えさせられるNZの旅です。
Simple & Healthy is best !
今までの(戦後の)日本の暮らし方、価値観を考え直さなければ・・・ってつくづく感じます。
人に会ったり打ち合わせのための移動の合間にみる子供の面倒は大変ですが、子供にとって何はよくて何が面白くないもなのかを知れて3人はいいテスターになってはいますが、育ちの違う子供を連れて歩いていると今風の若い親たちの子育て振りがいかに子供の自立自律を遅らせているかがよくよくわかることも確かです。
だからこそ、四海に囲まれた単一民族単一言語の島国日本に暮らす子供達を小さいうちから広い世界に放り出さなければ・・・・
広い世界を知った子供がいつか日本を変えていってくれることを願って旅はもう少し続きます。
乞うご期待!

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by sportssmart | 2016-06-21 21:36 | 教育/学校 | Comments(0)
熊本地震での子供のストレスが溜まっている ・・・
云々というニュースが騒いでいます。
経験したことのない恐怖を体験して、その挙句身の周りの崩れ落ちた変わり果てた様子を目の当たりにしているのですから強烈な衝撃・ショックがあったことは当然のことです。
東日本大震災被災地での出来事でも同じことがあり、その経験は十分想定されていることです・・・いま、新しい問題発生ではないことは明らかです………
ストレスマネジメントを専門にする者として被災地で子供のストレスケアに関わってきた経験からしても、改めて、大きな恐怖体験をした後の子供のストレスを大問題にしているマスコミの取り上げ方になんかおかしいな?と感じずにはいられません。そして何より子供と接する最前線の学校がこの子供達への対応に困惑している様子、スクールカウンセラーを増員する・・・・云々とやっている稚拙さに日本の学校の教員のレベルに驚きます。
時間と共にストレス行動が現れてきて当たり前のこと、これが出るからこそ、ここを通過するからこそこの閉じ込められていたストレスが発散され薄らいでいくというのに・・・・(ストレス行動にどう対処するかというのは別問題として)
このストレス行動を問題行動と捕えてしまうこと自体の問題があるというものの核心に目がいかないのかと、このニュースと周りの騒ぎ方に失望を隠せません。
専門家面して学者様が重宝されているけど、ホントかなァ~?って疑うことばかりです。
人間は本来動物の一種、動物の本能が残されているのは当たり前のことです。動物は自然界の摂理の中で暴風雨風雪嵐に耐え、餌の獲得に命を賭け、知恵を得、経験し、記憶し、進化していくものです。熊だって鹿だって、犬だって猫だって同じ、ライオンだってゴリラだって同じです。
怖い目に遭えば怯えて臆病になるし、上手い餌にありつけば癖にもなります。生きる要領をちゃんと獲得していくものです。それは考えてそうしているのではなく体が自然にそうさせているのです・・・
人間はそれらの動物よりもう少し容量の大きな大脳が備わっているので記憶とか感性とか感情とか、それに依頼心とか甘えとか、様子を見るとか顔色を見るとか、自分にとって都合のいい方はどっちかとか、要領のよさとか、動物とは似ているようで動物とはチョットちがう行動が備わっているものです。
脳みその中にいろんなものがいっぱい詰まってしまったらコンピューターの容量と同じようにパンクしてしまいます。
だから、大脳はほどよく選別して嫌な記憶や辛い記憶は忘れるように出来ているのものです(これが忘却というものですがね……)
残しておかなくてもいいことは都合よく忘れる程度で十分なのに、忘れることも出来ないくらいのインパクトでは消すに消されなくて脳がこれを消したいっ!って暴れるのでアレアレッ?っていう行動になって表れるのですが、このサインの読み取りとこの対処が出来ない程度の「子供を扱う先生」では困るのです。
時間と共に現れ消える(薄らぐ)記憶への反応、時にはフラッシュバックとなって表れる恐怖再現と恐怖回避行動は当たり前のことでこれを柔らかく受け止め自然に薄めていくことが出来るのが近くにいる先生でないのかって思うのですがね・・・・・
親にもこの仕事が求められるのですが、親の場合はいくらオトナとはいえ、親さん自体がまだまだ記憶の消えない状態にあるのですからいくらオトナとはいえ学校の先生のように子供の特性に合わせて対処しなさいと求めるのは今の段階ではチョット酷かもしれませんものね。でも大人なんだから「ちょっと我慢して子供に向かってやって」とお願いしたいところです。
大きな恐怖体験をした今までの日常とは違う状態にある子供達に体のエネルギー発散をとおして、夜グッスリ眠れて十分な睡眠が出来ることで明るくなる朝にはすっきり目覚められるように、そのスッキリ感がストレス因子をひとつづつ消していけるようにというのがスポーツストレスマネジメントなんですが、単にスポーツイベントで楽しい時間をというイベントニュースの持ち込みとは違う子供のストレスマネジメントという観点で子供をみていくことも大切です。
急に乱暴になったから、急に言葉や態度が変わったから といって問題行動ではないのです。それはサインなのです。それが何のサインかを感じ取り読み取れるのが学校の先生でしょ!!!
特別に専門家を呼んで専門家に頼る 日本のどこにでもあるお金を出して誰かに頼る 
子供を守るはずの学校自体がこんなものです。
もっと自然の摂理の中で人間をみていかなくては・・・・・
所詮、大自然の中から見ればちっぽけ人間の存在、いくら科学が発達したとはいえ自然に勝とうなんて無理なこと。
それより、自然の流れの中で人間もまた動物、あって当たり前の行動をちゃんと見つめていくことって必要ではないかな?
本能と理性がバランスよく育ってこそ自然に勝てる人間に育つのではないかな?
最近は理性の在り方も、本能の残し方も知らないまま、教えないまま、教わらないまま、学べないまま大人になっていくから理性ある人間なら考えもつかないようなとんでもない、本能の暴発だけの異常行動の事件が目立ち過ぎますよね。
学校も、教育委員会も?県も、国も、頭でっかちにならないで自然の摂理を受け止めてもらいたいものです。
マスコミの騒ぎ方もね!
マスコミももう少し勉強して、大切な国の宝である子供を預けているおかしな甘ちゃん体質の学校なり教委なり県なり国なりに気付きのペンを振ってもらいたいところだけどね・・・・
チョット失礼ではあるけれど、
記者の目ってバカじゃないの???





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by sportssmart | 2016-05-30 09:50 | 教育/学校 | Comments(0)
熊本大地震、早速、詐欺募金活動開始
一度味を占めた旨みは忘れられないんだろうね
これからどんどん出てくるぞ?!
災害復興ボランティアの仕かけもはじまるでしょう??
必要とするときに必要とされる助けを・・・・
NPOの災害支援助成金分配も始まります 得体のしれないNPOやボランテアもどんどんお仕かけるでしょう
ホントの国、日本の性根(商魂?)が試されるときです。
東日本大震災の二の舞にならぬことを願います
ホントのところの「日本の姿」を知って、それから「親切・絆・美談」を拾ってもいいでしょう。
先ずは、真っ直ぐ真実・現実から目を背けないように
そこから本物が始まります
神の洗礼を享けて根本から変わらなければ・・・・
変わるには、変われるには絶好の機会なのでしょうがね・・・・・
明治以来から続く「官」の悪習・鈍感さが変わらなければこの国は変わらない・・・・・
官と民の隔たりは大きく開くばかり・・・・
教育界に代表される古い体質・無神経さが変わらない限りこの国の未来はないゼヨ!!

詐欺募金の電話勧誘 呆れたね!
アホかいな!

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by sportssmart | 2016-04-18 16:33 | 教育/学校 | Comments(0)
風薫る4月、新学期が始まりました。
朝の通路は子供達がヨチヨチ列をなして登校している様子は可愛らしく、見守られている幸せの家庭から出てきたであろう幸せと平和を感じさせます。

さて、最近の学校はといえば
教員は派遣会社からの派遣、部活指導は外注、校長は2,3年任期の腰掛、私立に至っては天下り、
そして授業でさえ「外注」で賄われている実態があることを知っているでしょうか?!
実際にそうであっても、そのこと自体に気付いていない実際があることを知っていますか。
そうでない、校長を中心にしっかりスクラムを組んで子供達に向かっている学校に時たま出会うことがありますが、そんな時は心晴れ晴れします。
ビジネスとして派遣事業を展開する会社があったって何の問題もありません。ビジネスライクに利益の追求することは教育という分野に真剣に取り組んでいかなければビジネスは成功しないのですからしっかりやってくれることでしょう??
問題は、教育活動の多くを派遣や外注に頼ることは、専任教師と児童生徒との関わりの密度がどうかということです。
この「関わりの密度」こそが「教育」の全てなのですが・・・・
楽しいことは学校に惹きつけるための大きな餌で重要な素因です
が、楽しいことばかりが学びではありません・・・・・
まして、一時的な派遣先生との楽しい時間が永続的なことではないのです・・・・
教師と子供達との関わりの中で、人間生活の基礎基本が培われていくというのに・・・
それを煩わしく思う専任教員が多いのでは学校の役割は果たせません。
一般企業が経費節減のための派遣・外注を利用しているのと同じ感覚で学校現場も派遣外注先生で賄われる時代になりました
これってどうなんでしょう ?????
教科指導は職務で、部活動顧問は職務でない? 昼休みであるべき給食時間は職務でないけど放棄しないでしょ? 放課後の子供との語らいの時間戯れの時間は職務でないから放棄するの?
主張要求の多い現実に負けてそれらを派遣外注で済ませるの??
挙句に、授業出来ない教員の代わりに派遣教員で肩代わりさせるの???
部活指導が出来ないからといって外注コーチで埋め合わせするの????
部活って専門コーチを着けて選手強化するところ ???

どこかちがうぞ???

派遣会社の足を引っ張るわけではないけど、学校ってもっと自前で「学校」出来ていいんでないか??
オイラ間違っているかなァ?

先ずはセンセイを変えなければ
先ずは、就職の意識、職業選択の意識改革が必要かな?
採用する側の人間も随分程度が下がっているんでないかな ??
教育って流行り廃りで出来るもんでないでよ、
もっと普遍なものだと思うけどね!!



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by sportssmart | 2016-04-15 09:24 | 教育/学校 | Comments(0)
今週は体調管理のため休養 ということで あれこれ・・・暇つぶし

組体操の禁止、テストしないで評価 とか 学校を取り巻く話題が気にかかりました。
私、長年の経験を活かして体育専門アドバイザーをしています。
あちこちの学校を廻ると、最近の教員、定年間際の教員まで、
どういうわけかあまり人間的でなく仕事的な感じがします。
組体操のケガ・危険を大騒ぎしているけど
それは教員の指導力の問題ではないのか???
児童生徒の体力筋力気力の度合いをみて、どの程度を求めるか、
安全の配慮や、チャレンジの程度の判断能力にも 問題あり ではないか
危険が伴うことは百も承知で取り組む課題なので緊張感も必要。
それをピシッと指導・指示・号令を出して
笛の合図ひとつで一斉に崩すテクニックは相当の指導力が要るものです。
そんなことは出来て当たり前の「体育教師」なのですがねェ~
最近は笛ひとつ吹けない輩が目立ちます。
大体、体育大学を出なくても一般大学で体育免許が取れる時代です
実技、訓練、実習の経験不足は否めない事実です。
どうなってんでしょうかねェ~。

テストしないで評価って・・・・
何でもテストに頼っていていいのか???
何でもテストして数値だけで評価していいのか????
この先生は仕事さサボってたって感もないわけではないけどね。
ほどよいルーズさが無くては息の詰まってしまうところが学校なんだけど
中にはとんでもないルーズな輩もいてね
その辺のさじ加減がわからんアホが混じっているのが学校というところでもあって
どうしてそんなアホが混じってしまうのかわからんねェ~
大体、その頭がアホな教員上りってこともあるんだけどね。
当該教師の人物眼がどれほどなのかも講評しないで
「あってはいけないことです、ごめんなさい」
ってさっさと謝っちゃう校長って世間向きなのかな?・・・なんて思ったりして・・・・

どちらにしても、なんとかせねば・・・・ねっ!
無邪気に純真爛漫に育てば限りない可能性のある子供達
曲げてしまうのは大人だからね
先ず、学校・先生 これをなんとかまともにしなくては・・・・・





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by sportssmart | 2016-02-25 10:24 | 教育/学校 | Comments(0)
被災から5回目の正月を迎えようとしている被災地福島県
平常を取り戻したところと、そうでないところが両極端に混在しています。
ホントに大変なところは世間の関心からどんどん見離されていきます
資金が投入され復興が進んでいるところばかりが目立って、そうでないところは置き去りです。
緩やかな回復は緩やかな感覚のマヒを生み、まだまだ数値の高い放射線量の数値にも最早驚きません。

無心無知な子供達と接する、一番、人の心の機微に敏感であるべき教員達でさえ、この現実に慣れ切って何の問題も感じることなく「平常」が過ぎています。
被災者でもある自分の暮らしに精いっぱいの現実は理解できても、毎日接する子供達の変化には気付かなくなってきているようです。関心事は今日と明日のことだから・・・・・

もともと、教師の仕事に就くにはその基礎力が不足していたのが顕著で、
そんな輩に、何も知らないで言われるがまま、されるがままの子供達が不憫でなりません
もっともっと伸びる可能性がいっぱいあるのに・・・・・・

学校を廻っていると、人の心の機微を思い測れる力もなく、田舎なればこその世間体や親の自慢、身分保障、生活保障の暮らしていくための条件だけが魅力の就職先であっただろうというような人達が目につきます。
何に忙しく、何に目を当てているのか・・・・・・
一般社会を経由して、世間を知っているからこそ知っているホントウの忙しさは「学校の」こんなものではありません
大したことないことに、忙し振ってアプアプしている姿に「教員の無能」を感じます。
教育職だからこそもっと目を向け、もっとしなければならないことがあろうってものだろうに・・・・・
教師の仕事は指導力をつけること・・・その指導力を活かして子供達の可能性を伸ばしてあげること・・・
教師の基礎力より、どうでもいい仕事の報告を求めているお役所も、「学校」はお役所仕事の一部でしかない感覚です。
教員上りの教育委員会等の職員役人は”これではいかん”と知っているだろうにどうにもできないでいるのは何故でしょう???
ホントウにすべき仕事への意欲もそれに取り組む勇気も無いのでしょうか・・・・????
お役人気質の強い風潮が変わらないところでは、余程のことが無ければ変わりようがない体質です
何よりも、ガッコウの先生が、一番人の心の機微に敏感でなければならないのに一番鈍感な人達の集まりでは・・・・・・イジメなんかなくなりはしません……
基礎力のない教員達でつくる「学校」を変えていくのは大変な仕事です
ここでいう基礎力って何でしょう????

普通に子育てに追われている親達が1日、3日、1週間その学校で過ごしたなら
子供を預けたくなくなる、誰でもがわかる学校の実態です
世間に生きる生活者なら誰でもわかる愚かな実態がそこにあります
言わずがな、暮らしの真只中にいる方ならすでにわかっていることでしょう・・・
そうでなく、一所懸命真摯に取り組んでいる先生のためにも、ガッコウが子供達が育つ学校にしていかなければ・・・・・

「学校」が「学校」であるべき基礎基本ってなんでしょう???
学校に一番必要な備品は「教員・教師」そのものです
いくら高価な機器を備えても、いくら使いこなせないくらいな教具を備えても、IT機器に頼ったところで
そこに、人間に根指した心ある指導力のある教師がいなくては・・・・・・

支援だらけの学校ではあり余る教材機器が溢れています
物欲しさに、支援を煽り支援されることが手柄と勘違いして支援を自慢する校長さえいます
多くの教員を失くした被災地は、教師として、人としての基礎力を持つ教員が不足しています。
この現実を受け止めて、教師の指導力、教師としての基礎力をつけていかなければならないのに・・・・・
お役所感覚は、実態を突かない砂上の計画に大金を注ぐばかりです
日本という国の縮図そのものの福島県です
福島県が変われば日本が気付く なんて保証はどこにもありません・・・・・
文科省はもっと本気であるべきでしょう 文科省は福島県の取り組みをもっと本気で凝視すべきです
国庫補助金が有効に使われているかどうかも含めて……








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by sportssmart | 2015-12-20 17:04 | 教育/学校 | Comments(0)
12月17日。年前の学校訪問は昨日で終わり いささか疲れました。
昨日、昨昨日って一日中跳び箱、縄跳び、マット運動の器械系
肉離れして休ませる時間もないまま使い続けている右脚をカバーしながら、見せる(魅せる)体育をしている私の左脚もいよいよパンク、足首の腱がパンパンに腫れ上がってしまいました 労災???

参観授業は40年か50年前、いやいやもっと昔のようなコチコチの固苦しい「體育」で子供達の元気可能性は抑えられ蓋をされているようで愕然とします。
今の時代、戦前戦後の頃のような『體育』なんかやっていたら笑われます
ここは文明文化の届かないところだからそれで許されているけど・・・ではありません
誰かがちゃんとわかっているのに、誰も口にできないのです・・・・・・
そんな遅れに気付かないでいっしょけんめいやっている先生も可哀想だけど、他を知らない子供達はこれが「楽しかるべき「体育」」と思って受け入れている(やらされている)子供達が可哀想になりました。

先生達が気付き、自らよくなろうという学びの場や時間をつくろうったって・・・それは誰がやる、ケガしたら責任は、金は誰が出す、予算がない時間がない・・・ないないない出来ない出来ないが考えの始まりにくるお役人。
自分は何のためにここに来ているのか、何のためにこの事業があるのか、何のための契約が 何のために他を断ってここにいるのか 
偉そぶっている無能なバカ達をみていると悲しくなります そして「福島県」っていう見せかけの世界に胡坐をかいている人達にアホらしくなります。
それが福島の子供達の教育と健康を考える先生達の幹部で数年先は管理職として現場に立とうっていうのだから・・・
役人達にしても何のためにお前が要るのか、何のためにお役所があるのか 考えたことがあるんだろうか
選ばれた人みたいな気になって・・・・・・
結構いい気になって働いているのに・・・・・
結構いい給料もらっているのに・・・・・
誰のために何のために働いているんだ?

これじゃ良くならないよ。 
ホンノ数人が夜も眠ないでいっしょけんめいやっていても次から次に潰されていくんじゃね・・・
誰が責任、予算がない時間がない・・・… これで全てが終わりです
やることは、しなくてもいい視察管理監督に めくら人事。
末端で、よくなろうと日々格闘し、学び成長に飢えている現場の少数の声は打ち消され
そのうち、明治以来のしきたりと風潮に同化してただの世間知らずの勤め人教員になっていくのでしょう

福島が変われば日本が気付く
福島っていう武家社会のような格式と因習が残る、正に「日本の縮図」が凝縮されている福島を動かせば日本中が福島の変わりように気付かされるだろうって期待するところだけど
根の生えたバカを利口にするのは並大抵のことではありません

自分はやらない、手は出さない、カネは出さない、誰かにやらせりゃいい 出来るだけ新しいことはしない、見ない 触らない 失敗しないミスらない
言われたことだけやって、見せかけの手柄だけは自分のもの
親も教員、祖父も教員 教員家系の強みで引き抜かれ、
偉くなりたい、偉くなった自分を見せびらかせたい自慢したい・・・・くらいなもんだものね
そうでなけりゃ、こんなところで我慢なんかしやしないだろうに??

こんなところにペコペコして媚振ってビクビクして どうするんだって!?
それが△△県の教員世界だもんね どうするゥ?
こんな光景はどこにでも残っているのが日本の教育界の現実であるこてはよォ~くわかっています。

だからやるんや! ってひとり静かに闘志を燃やす夜です。

だけど、どうする? 両脚やで!
肉離れに両足首腱損傷、どうしてくれるんや? 労災やんか!
オレの体は商売道具やで、商売道具が壊れたら喰っていけんやろ!
車使って壊れたら修理代払うやろ?

大丈夫ゥ~? でお終いだもんね、
どうなってるんだろね、ガッコウの先生達って?
それも将来の管理職やで。▽△県の(日本の)教育界知れたことやで。





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by sportssmart | 2015-12-17 21:24 | 教育/学校 | Comments(0)
6月から10月まで105日間、福島県の小学校を回り始めてやっと答えが出ました。
ここは「日本の縮図」 
追いやられるものと、利に群がる者が交差するところ
本当のことは知っているのにそれに触れない、それに触れて
核心を言ってしまえば入ってくるもの(お金・補償金)も入って来なくなるから・・・

子達は大人の縮図です
オトナが何も言わなくとも、ちゃ~んとその目が、その体が見て感じています
今になって、本当に心から解放された溌剌さに欠けるように見えるのは、周りに嘘が蔓延っているからではないでしょうか
支援とか補償とか、利権とか儲け口とか ぁばよくいけば懐に・・・
棚から牡丹餅みたいなことを、隣が儲けりゃ自分もと、虎視眈々と機会を狙っています
失ったものが多すぎて、欲の塊になっても仕方ないのかも知れません
でも、この被災がなかったらどうだったのでしょうか・・・・・
小さな幸せ、小さな平凡は壊されなかったでしょう・・・・

4年7カ月経った今、回復は至らないまでも平常は戻りました。
小学校の形態も多くは戻りました。子供達はいたって元気です。
でもね、
先生達がどこか影があるのです・・・・・
先生達がどこか輝きにかけるのです・・・・・
それは、この震災の疲れではなく、この地方に残る独特の管理監視の目に縛られているからのようです。
開かれた今の日本の中でも、お役人の世界には目に見えない因習体質が大きく残っています。

子供の輝きを取り戻すには先生の輝きを取り戻さなければ・・・・
子供に接する現場・先生が輝いて活き活き子供達に向かっていれば
子供達だって活き活き活発になるはず・・・・
見かけの元気と内面のホントウの元気が違うのは、生身の体で本音でぶつかれば直ぐにわかります
こんなところにも、「日本の縮図」を垣間見ることが出来ました。
物欲に蠢く町、利権にぶら下がる人、疑う人、潤う人、身動きできない人
オトナの空気にそっと染まっていく子供達
そして、心なく平気を装う人達と、隙間を狙う人達
「子供は大人の鏡」、
どんな時も真っ直ぐに明るくへこたれないで・・・人間として輝いて・・・
なんていったって、直ぐそこにいる先生達が見えない空気と古くからの体質に縛られていては
いつまでも重い鎖はほどかれません
そんな中で、子供は子供、元気で溌剌です
でも、それが本物でないことを感じます。
長い時間の経過の中で刷り込まれていくのでしょう・・・・・
解決すべきは、教師の解放?かな
先生達が子供の先生として自由にのびのび仕事に向かえること
その環境づくりが、大変なハードルです・・・・
子供の体力回復?輝き回復?ったって、大きな「元」を変えなくちゃ・・・・・
その大きな元が、自ら気付くことのない「守られた世界」なのだから・・・
気付くことがあったとしても、守られた世界を変えることも出ることもなく、
壊す勇気もなく、そこにいる人達が「守られた世界を守ろうとする人達」なのだから変わり様はありません。
一番子供に近い世界が、嘘と裃(上下・かみしも)の世界なら、
いつかこの子供達も嘘と裃の世界に入っていくでしょう
子供達に嘘のない素のままの生き方を望む先生達が、実は、
縛られた中で、本当の自分になれないで、輝くことなく小さく、見えないところで心を閉ざして日々を暮らしているのなら
子供達にホントウの輝きや元気などは生まれて来ようがありません。

福島県相双地区というところが昔の裃を着た階級社会を継承していることと
震災の被害地であることとは別問題で、ここにきて、多くのことの回復を願うとき
この目に見えない重い空気を背負っている可笑しな社会というか、当たり前にある「風潮因習」が大きくはだかっていることは確かです。
教育の管理監視、教員の管理監視という仕組み
開かれた民主国家「自由の国」と自評する日本でも
これは正に「日本の縮図」でしょう。

ノーベル賞受賞にみる日本の頭脳の裏に隠された 真の「教育の稚拙さ」が今の日本を劣化させています。
小学校体育アドバイザーとして小学校を回って歩いて、子供達先生達と関わりながら
正に、日本の元凶ここに見たり! という思いです。
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by sportssmart | 2015-10-17 06:06 | 教育/学校 | Comments(0)