Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

時間割に余裕がない? 道徳教科? 学校で今何が起こっているか 校長って仕事はなんだ? 学校の先生って仕事はどういう仕事だ?

長閑な月曜日の朝、土日の子供達の歓声が耳に残っています。
緑に囲まれたデッキの上で穏やかな朝を迎えています。
a0111271_09382250.jpg
a0111271_09391367.jpg
a0111271_09451297.jpg
a0111271_09395275.jpg
昨日のラグビースクールで、ハチャメチャにハジケてしまった子供達に
ゲンコツを喰らわせてやりました。
1から5までの好きな数字を選ばせて、1は拳の親指で2は人差し指で、3は中指の真ん中をいっぱい膨らませて強烈なやつを、4は人差し指で優しく、5は小指を小さく丸めて・・・小さなオデコにコツン!と喰らわせてやりました。
「痛くなぁ~い?」「イティー!」とやっているうちに3番を選んだ子供に3番のゲンコツが火を噴きました。「イティー!!!」といって飛び上がる子供。4番5番はほんの優しく痛くもない様子です。それを見ていた子供達は(ぼくも!、僕にも! ぼくにもちょうだい!って今度は痛くて嫌なはずのゲンコツに群がるのです・・・
痛くても優しいゲンコツがあることを子供達はちゃ~んと知っているのでしょうね・・・
さて、さて、それから練習は本格的なゲームに入り、ラグビーをいっぱい楽しみました。

巷では、教師の体罰だの、学力低下だの、道徳教育? だのと 何かに躍起になっている様子が毎日毎日伝わってきます。
それが、なんだか おかしなこと に思えてなりません・・・・
学校外活動といってもそれは子供集団の集まりのこと、子供と接することに変わりはありません。ここには子供を見守る目に、育む目に、叱るゲンコツに、余裕があり温かみがあり、待ってやるゆとりがあり、ゆっくり時間が流れていきます。それだけではありません、子供達がやっていること、やったことに、その成果を実感として感じられる結果がついてきます。だから、「楽しく遊んでばかりで、負けてもいいんだよ」では済まされません。
相手があることだからいつも「勝つ」ということではないけれど「勝つ」味を味あわせてやらなければなりません。負けたときにもそれを受け入れ次につながる意欲に火を点けなければなりません。
かといって無理矢理に大人のすることを押し付けるわけではありません。子供なら仕方ない・・・子供でも許さない・・・子供でもここは乗り越えて・・・・子供だからこそ耐えられる・・・といった厳しい場面もいっぱいです。
無理矢理仲良くならなくたって、ひとつのボールをひっちゃかメッチャか奪い合っているうちにルールがわかり、仲間が出来、仲間を頼りにし、自ら突進し、仲間にボールをつなぎ・・・と「チーム」が出来上がり、気後れも遠慮もなくなり友情が芽生え、ひとつのペットボトルの水を分け合い・・・何だかんだと助け合い奪い合いが始まり、「思いやり」が生まれます。
道徳・モラルって教えて教えられて教え込まれて覚えていくものなのかな?って思うと おかしなことにいっしょけんめいやっているな?ってふと思います。
時間割に余裕がない? って これもおかしなことに思います・・・
子供がスキで夢中になっているときが一番吸収する時なのに・・・・国語の時間に興味いっぱいにやっているなら次の時間を国語に切り替えてやらせたっていいものを・・・・算数だって、理科だって社会だって同じこと、絵の時間だって音楽だって体育だってみんな同じことなのに・・・・
学校って、学校の先生って何かに縛られているんでないか ??
子供の成長を願っているっていうのが大きなねらいであるなら、その「成長」を促す方法はいっぱいあるだろうに・・・・
時間割りに縛られ、行事に振り回され、子供に関係なく大人の期待でつくられた「教育目標」の達成に追われ、地域地域の学校間で優劣を競い・・・・では企業の社員と同じで、好むと好まざるとに関わらずノルマに追われてあくせくしている(挙句にストレスでおかしくなってしまう)サラリーマンと同じではないか???? 学校ってとこは企業戦士をつくっているんでないのだから・・・・・もっと違うんでないのかな??
(私の体育専門アドバイザーとして関わった○○県 △△県、××県なんぞでは地域行事に合わせてカリキュラムが組まれていて学校対抗競技会の選手選びのための体育授業や優劣を競うコンクール出場のための練習のための音楽や美術の授業時間だったりしで、子供や親はこれに振り回されている なんて現象も多くみられました。これを学校外行事に振り回されない、子供の意欲成長段階に合わせた学校独自のものに改善するよう努めたんですが、なんたって向いているのは「子供」ではなく「お上と出世(出世なんていったてセイゼイ校長止まりなのですがね)」なのですから専門官とはいえ「ひとりの一使われ人」のアドバイスに耳を傾けるものではありませんでした。多分、いまでも変わってはいないでしょう??

北海道大学で教鞭をとった”ボーイズ ビ アンビシャス・・少年よ大志を抱け!”で有名な過のクラーク博士がこんな言葉も残しています
Not fast,More rest! 」{急ぐな、もっとやすめ}「そんなに急がないでもっとゆっくりやりなさい、なぜいそぐ?」って言っているように聞こえます。
急がないで、ゆっくりやっているうちに身に付くことはいっぱいあるのに・・・って嘆いているようにも感じます。
忙しく忙しい世の中になってどうしても急ぎたくなる焦らされる雰囲気に呑み込まれてしまいがちです・・・都会にいたらなおさらのことで、都会の情報に振り回され、流行になびきやすい人達で構成されているニッポンで、このニッポンを引っ張っていっている優秀な頭脳をもって霞が関に陣取っている人達には このクラーク博士の「急ぐな!・・・」の意味が理解出来ないのかな? って つくづく思います。
田舎の世間の喧騒が届かないこんな長閑なところにいたって、何かに焦らされる自分がいます。このときを、急がず、もっとゆっくり、もっと休んで・・・・っていうのは大変な修行がいりそうですがね・・・。
それでも、子供達は毎日学校に通うのですから、子供達の集うところくらいには余裕が欲しいところですね。
振り返って思い出せば、私のお世話になった先生達ときたら、好きな時に好きなことを教えてくれて、飽きたころには好きなところに連れていってくれて、雨が降ればお話しをしてくれて、陽照りが強ければ海に出かけ、雪が降れば山に行ってスキーに戯れ で、喧嘩をすればみんなに囲まれた相撲大会になっちゃったりして・・・・そんな時の行司はクラスのみんなだったり女の子だったりして・・・・
ストーブに温めた弁当なんか早い者勝ちで食べちゃたりして・・・それでもみんなで分け合ったりして・・・・悪だくみのお兄ちゃん達がいれば正義の圧巻お兄ちゃん達がちゃんと守ってくれたりして・・・・
なんてこったぁない、今だって子供達の世界や成長は同じなのに・・・おかしくしているのは学校でないかな ? って、この学校をおかしくしているのはダレだ?
なんて、ふと思ったりして・・・・・
教育って 子を思う親と同じように子供に向ける愛情がいっぱいなければ・・・
愛情の乏しい親、何かに追われて余裕のない親って、子供を叱ってばかりでいたり、無理な躾を求めたり、やたら人目を気にしたり、人目をはばからず叱り飛ばしたり・・・でしょ!?
4才5才、7才8才9才にもなれば子供なりにも人格ができ、自尊心が芽生え、プライドってものが生まれるのです。
学校の先生が「仕事」に追われ、「余裕?」がなくなってどうするんだ?
学校の先生から余裕を奪ったら預けている子供はどうなるんだ?
時間割りって そんなに大事かなァー、時間の流れっていろんなんことがあるもんでしょ  もっと人間そのもの、組織そのものにゆとりがあっていいんでないか? だって「学校」なんだもの。 大儲けしなければならない「会社」とはちがうんだからね!
なんとかせねばいかんぜよ!! ねっ!!

a0111271_09361872.jpg
a0111271_09370370.jpg



[PR]
by sportssmart | 2017-05-29 12:38 | 教育/学校 | Comments(0)