学びの環境
2017年 10月 04日
都会の一等地にそそり立つビル・ビル・ビル
中に入ると壁に仕切られた小さな小部屋に遠慮気味な窓から光が・・・・
ガラスのドア越しに狭苦しい教室
ここで学生達は達人の知恵をいっぱい学んでいるのだろうか???
あどけない若者達は小さく固まって何をコソコソ話しているんだろうか・・・・・・・・・・
見渡せばひとりポツンと孤独な憂いを感じさせる若者も・・・・
ハァ~ これが憧れの都会の大学か????
憧れの東京さ出て、憧れの大学生になって、
隣ひしめく狭いアパートとの往復のなかで、
何を思い、何を夢見ているんだろうか・・・・・
優秀な頭脳はつくれても
優秀な人間は育っているのだろうか・・・・
有名大学、最高学府を出た人達で埋められている日本国最高の府・
国会を見れば大凡のことはわかるような気がするのはどうしてだろう・・・・・
若者たちが若い時こそ大きな自然に囲まれて
物思いに浸り、思考して、迷走して、悩み苦しむ時があっていいのではないだろうか
寧ろ、このことの方が大事な時期ではないだろうか・・・・
ビルの合間を闊歩するダラダラ歩きの学生達の隙間をぬって進むのは至難の業
この子達は本当に学びの姿勢をもっているのだろうか?
と、ふと疑いたくなってしまう
こと欧米諸外国の「大学」ときたら
広い緑の芝生に青い空が広がる一大広野の中で
悠然と時間を過ごし、人生を語り若いエネルギーを発散し、将来に真剣に向かい・・・
その輝きはその先の未来に繋がっているかのように見えるのはなぜだろうか・・・・
英知を学ぶことの大事なことはわかるけど
人をつくる ことの大事をなくしたら何にもならないことを
日本の学校日本の教育は忘れてしまったのだろうか・・・・・
国力を急ぐことはモノをつくること、モノを売ること、お金を儲けること
それだけではないことをこの国を導く人たちは知っているのだろうか
もっと大切なことは人が人として育つこと、その「人」を育てることではないだろうか
国威の粋、超高層の立派なビルデングの学び舎で、心ある人を育てる手立ては整っているのだろうか
「すべて」が一局東京に群がる中で、「学びの場」も「東京」でなければならない理由はどこにあるのだろうか・・・・
多くの人は「憧れ」だけに走りがちです
「憧れ」だけに振り回されて、本当を見失ってきたのがこの日本と日本人ではなかろうか
もっと古来の良さというものに自信を持てる「人」でなければ・・・・・
世界に出てみて初めてわかる日本・日本人の立ち位置ってものがあります
過重評価、誇大評価に溺れがちな日本・日本人であることを自覚しなくちゃ・・・・
本質を見極めること、本物を知ること をこの巨大ビルディングの中でしっかり教えてもらいたいものです。
この先ずっと付いて回るパーソナリティーとメンタリティーの養成こそが高等教育の大きな役割ではないだろうか
一番大切なことはメンタリティーパーソナリティーの耕しを忘れないように願いたいところです。
写真:
お茶の水の一等地にそびえ立つ明大ビルディング、
決して明大のことを言っているのではありません。
都会のビルの中で学ぶ学生たちのことを言っているのです
悪しからず
by sportssmart
| 2017-10-04 14:15
| 教育/学校