Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

教育不在 ある私学の実態

縁あって、
90年ほど前に女子教育の大切に想いをもって小さな家の2階の一部屋で始まったのがその始まりという今では立派に成長した私立女子高とここ2カ月ほど関わっています。
想いは、国の礎 乙女の学校ということでその崇高な教育理念の校是に心惹かれました。

が、実態は・・・
残念なことに今では当時の崇高な教育理念の欠片もありません。
授業はあっても、教育が不在です。
「教育」(女子教育)できる人がいないのです。「教員」はいるのですが「教師」がいないのです。
どうしても「先生」の職に就きたくてどこでもいいから教員採用先を探して集まってきた(採用された)教員で納まっているのでしょう・・・・・
現実の愚かさに気付いて早々に辞めていく人が多く、入れ替わりが頻繁になってしまっているようです。形を守ろうとするがために若者にあるべき明るさ溌剌さにも欠けがちです。そのくせテストの数値(評価)には敏感で、外部から苦情や注文には戦々恐々、生徒保護者への気の使いようが優先で、その程度の先生の集まりですから、なんとしてもしなければならない始祖の想いのこもった「教育」「女子教育」などには気付かないのでしょう。
校庭の隅にある始祖の胸像が淋しそうに校舎を仰いでいます。
私学は生徒集めに必死なのはよくよく理解できますが「教育」不在では私学の私学たる所以がありません。
立派な校是を自慢するにはお恥ずかしいほどの内実です。
春にはまた「先生」がごゾッと変わるのでしょう・・・残された、集められた生徒はどうなるのでしょう????
教育不在の学校に学ぶ子供達が可哀想でなりません・・・・
「授業」やIT教育 i Pat導入、素敵なHPつくりには目ざといのですが、始祖の崇高な教育理念はどこかに消え去ってしまったようです。
狭い私学という隔別された中で、独自の「教育」をするのもひとつの「教育」ではあるのでしょうけど、授業をすること、教えることに喜びを感じる塾の先生とは違う「学校」なのだから「教育不在」では最早「学校」ではありません。
長く中にいて要職に就けて喜んでいる先生が、「教育不在」に気付くこともなく、気付く力もなくいることに大きな問題があるようです。
校舎や制服や周りのカッコウばかりに惹かれて集まってくる、はたまた、集められてくる子供達が授業は受けても教育をうけないまま放り出されるのは可哀想でなりません。まして、そのまま女性になり母になっていくのですから校訓にある国家社会に貢献するなんてのは意に叶うものではありません。
「私学経営」の危険性とその実態をもっと明らかにすべきでしょう・・・・。




[PR]
by sportssmart | 2016-11-29 00:23 | 教育/学校 | Comments(0)