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Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

道を変える時、変えなければならない時、手を変えて、最後まで・・・

8月31日、急な病変で1カ月入院して、退院してからちょうど半年。
定期診断で病院に行ってきました。
医者が言うのに、これは治らないんですよ、もとには戻らないんですよ。
オリンピックを目標にしていた人が、パラリンピックに目標を変えなければならないのと同じです。パラリンピックを目標にしている人なら、それも諦めなければならないほどのことと同じなんですよ。車を運転して移動していた人が子供の乗る三輪車で移動するくらいなことで、諦めるというよりは考え方や目標を変えるくらいの気持ちで頑張ってくださいネ といことで半日リハビリの指導を受けてきました。

でも、体は動くし、まだ、生きているし・・・
何度道は塞がれてもこうしてやってきたし・・・・
God is my Fun! 神様は私のファンなんだ
神様は私のことが好きなのかな??!!
何度死にかけても、何度道が塞がれてもこうして生きているもんね。
生かしてもらえるだけ幸せ、
God is my Fun. 何度死にかけても見放しはしないんだから・・・・
方法を変えて、やり方を変えて・・・・最後まで・・・トライや!

小学校の頃は遊び呆けて、同じような遊び呆けている友達がいっぱいいました。
中学校に入ると部活動に入るということがあって陸上部に入ってみました。
何だかチョットちがうな?っていう感じでブラブラしていると社会科の先生だったかな?ちょっと強面のどことなく信頼感のある近藤先生からサッカー部に誘われました。
そこには、近藤先生のクラスの困っている生徒(らしき)もいて、チョッピリ不良の集まりのようでした。
アレッ?オイラも不良のひとり?なのかな?なんて感じながらもサッカー部で田舎の管内大会は総なめの強さを誇っていました。
それもそのはずです・・・
相手チームはこちらのフルバックを怖がって攻めてこないのですから・・・・
そのフルバックは今は亡き水戸優くんといって近藤先生の「困っている生徒」なのですからその効果は抜群でした。「オラオラこの野郎!打ったら殺すぞォ!」だもの
この最後のデフェンスラインを越えようものなら後で呼び出されて袋叩きにされてしまうという噂が飛びまくっていましたから・・・(実際そんなことがあったのですが・・・?!)
水戸君は子供の頃からの遊び仲間の自分達にとってはそんなことをするようなタイプでなくガタイと声だけが大きい優しい奴だったんですがね・・・・今思えば近藤先生も子供達の特性をつかまえて、常勝サッカー部を率いて楽しんでいたんだろうなって思います。近藤先生が生きていれば95歳か100歳近くになっているんだろうな なんて思いだしました。
秋の駅伝の季節になればチョット来いと呼び出され冬になればスキーのクロスカントリー競技のリレーで走らされ地区大会レベルでは優勝旗をかっさらってきたのを思い出します。これだって、部員がいなかったから取り敢えず穴埋めにだされたのでしょう・・???
今ならわかるけど、そのときは、あれやこれやのスポーツ仲間と楽しんであちこちの大会地に遠征できて楽しかったのですがね・・・
高校に入るとあちこちの部活を股にかけるわけにもいかないのでとりあえず陸上部に。
この陸上部というのが冬になるとスキー部に変身する部で運もあってかチョットは才能を発揮してか地域では目立った選手になるわけです。夏は陸上で冬はスキーで全国大会に出場する勢いだったのですが、そのお陰で、インターハイでの初優勝を目論む私立高校にスカウトされたりして、ちゃっかりアルペンで全国優勝しちゃうんです。
大学に入ればアルバイト気分で出場した日本最初の賞金レースで勝ち昇っちゃって新聞やスキー雑誌に載ったりして、当時はアマチュア規定というものが厳然とあってその後のインカレやアマチュア大会、全日本選手権等には出れなくなってしまうんです・・・・
それからはすっかりスポーツ人生も狂ってしまって・・・・・
思えば、どんな時も運が良くて、大して強くも速くもないのに周りが転んだり、躓いたり、水戸優君のように強烈な個性あるバックスがいたりでいつも上位チームに居たりシード選手であったり、優勝したり入賞したりのそこそこに、負ける敗者の味より「勝つ」味を味わっててきました。
勝つことから学ぶことは『喜びの中から或は「少ない痛み」の中から学ぶ』ことが出来るので多くのことを素直に真っ直ぐ受け入れることが出来ました。

このごろ、小さい子供達をみていると、強かろう弱かろう、速かろう遅かろう、勝ち負けに関係なく喜びも悔しさもみな平等に分け合って、そこにある感動や悔しさから何も学ぶことなく、また、学ばせることもしないまま、悪戯に慰めあって、ただ舞い上がって、時には直ぐに諦めてそっぽ向いて、勝てないことだけに拘って・・・が多いように見られます。
いい指導、いい指導者って何だろな?ってときどき思います。
資格をもっていることと、資格を取ることや勝つこと、勝たせることが指導者の自負するところという大きな勘違いが見え隠れしているようでなりません。
あっちでこっちで相手にされなくて、どこでも通用しないような「あぶれた」子供を集めて地域の優勝を楽しんでいた近藤先生。その辺のめぼしい悪タレを集めて人数不足を補っては自分の得意な夏の陸上競技と冬のスキーだけを楽しんで優勝カップを総なめにしていた大谷藤樹先生。
そんな変わった?恩師に出会えたからいまのスポーツ指導者としての自分がいるのでしょう。
そして、スポーツを通して子供を育てること、教育することの何たるかを机上の学問ではなく実地をもって学ばせてくれた「学びの世界・学びの過程」があったからこそ今があるのを感じます。
大学にいって何を学んで、何を身につけて現場に出るのでしょうか
職に就いてその仕事場は若い卵を育てているのでしょうか・・・
余程取柄があるわけでもなく、よほど勉強したわけでもなく、大学に入って、余程鍛えられて卒てきたわけでもなく、漫然と試験をクリアーして採用された「優秀な」先生達が子供に何を教えているのか・・・・

孫の小学校を覗いてみました・・・・
こんなんで・・・、こんなところに大事な孫を預けてはおかれない
と思いながらも、世の中の流れには逆らえず致し方なさを感じます
まだまだ人生の何たるかも人の心の機微も感じられないような中途半端な管理職が育っている現状が学校というところを退化させているようにも思えます。
なんでも子供中心で、子供の言うなり、親が求めるなり が学校ではありません
学校は子供の学び場所育つところ、子供の遊び場、子供が大人になるところです
学校は子供がつくる ところではありません
そこで子供に接する先生が学校をつくっているのです。
先生が、そんなんでは子供が学び育っていく「学校」はつくれません。
学校は先生の「遊び場」ではないのですから
人育ての原点を忘れず、上手に遊びながら、遊ばせながら、将来の、先のある人間を育てていかなければなりません。
今になって、気まぐれみたいにあぶれた子供達(生徒達)を集めて部活を楽しんでいた?先生達の崇高な教育観を感じます。
その中で育って、今の自分があり、時代と共にそんな自分が通用しなくなっていくのかと思うと一抹の寂しさを感じる最近です。

でも、そんなこと関係ねぇ~
「勝つ」喜びを味あわせながら、その中から敗者に心いく子供達を育てること、
道を変えなければならない時が来たとき、サッパリと次のことに挑める強さを残してやりたいものです。
「道を変えなければならない時」「究極の選択」を迫られるときは人生の中で幾度とやって来ます。いよいよ今までの道を大きく変えなければならない時はそう容易く変えられるものではありません・・・・
でも、変えなければならない、そんな時もあるでしょう・・・・
その時、子供達は、いまのこの時のいっしょに遊んだ日のことを思い出し、そのことが大きな力になるのなら いまの私は「いい仕事をしている」 のかも知れません・・・・

神様が見放さない限り、方法を変えやり方を変え、やってみようと再度のチャレンジに心を向けるのにはよほどの力が要ることです・・・
でも、最後までやってみましょう・・・少しばかしきつくとも・・・・


by sportssmart | 2016-09-02 21:03 | 教育/学校