Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

バングラデッシュ・テロ報道にみる日本という国、国民性?    報道の在り方 

無情非道なテロの拡散は世界中を脅かせています。
日本人を含む20名の命が無惨にも奪われました・・・

ニュースはこの報道を悲しみの中で伝えています・・・・
伝え知るニュースではイタリア人やドイツ人、地元の方も亡くなっています。
日本に伝わるニュースは日本人の犠牲者に焦点が当たって当然ではあるけれど、
他の犠牲者の方々への配慮は全く感じられないような報道の仕方のように見えます・・・
私達、日本人が、同胞に振りかぶった悲惨なニュースに悲しみに包まれるように、他国の人達もまた同じような悲しみを感じているでしょう…
そこに居合わせた人達の命が、同じように奪われた悲惨さと悲しみは同じです。
同胞に心いくことは能々わかりますが、ニュースの伝え方として同じ時、同じ場所にいた命、同じ尊い命への尊厳と敬意はないのでしょうか・・・・
少なくとも、少しは他国の人達の心情に触れることや状況の知らせがあってもいいような気がするのですが……
同じ日本人として、どこか 日本・日本人 という本質の底をみるような気がして悲しみと残念さを感じるのは穿った考えでしょうか・・・????

つい、最近2週間のニュージーランド旅行から帰ったばかりなのですがその国民性というか、人柄というか、暮らしぶりというか・・・なにか違うものを感じます
地理も風土も歴史も違うのですから文化風習が違って当たり前のことですが、人間の本質としての何かが違うのをつくづく感じます。
日曜日には教会へ行く生活文化の中で、多くのクリスチャンと接することが多いのですが、日本人だって多くは無神論者であっても死に際しては仏教が主流です。
多くの宗教の中でもインドに始まる仏教には素晴らしい人の道を訓える教えがあります。概して仏教国である日本人であるはずなのに……他者への配慮、敬意、というものがなさすぎるような気がするのです…・・・。
そんな一面が、経済にも、産業にも、教育にも、国のあり様にも、ニュースの伝え方にも、すべての場面で「自分さえ~~」が現れているような気がして・・・・・
先の幾度かの戦争もどちらかといえば自国の、自国だけの都合、生き残り、
もしかしたら、たった一部の人達の自分だけのエゴのために始まった戦だったのかも知れません。
助け合いだの、絆だのと美句麗句で自画自賛しているけどホントウを見返してみたら自分さえ、自分達さえ、の他者への敬意も尊厳もない、「何でも自分が一番」の自画自賛の民族性を含む自惚れの強い民族であるような気がしてなりません。
スポーツにしても遺伝子的にも明らかのように、、、日本古来からの国技の相撲でさえ最早「外国人」の世界になっているのに、日本の本質的なところを暴露されても尚且つ世界一になってメダルを増産することに躍起になる愚かな日本です。
世界一を目指すことと、世界一を当然とする自惚れとは意味合いは全く違うのですがね……
何が何でも優勝を、メダルを!といって学校挙げて児童生徒をシゴクのと 頑張った結果がメダルに結びついたね!というのとでは子供達の感動や満足に雲泥の差があるのと同じように、日本のオリンピックへの関わり方も他のそれとはずいぶん違うような気がするのだけど・・・・・
(過去には国威掲揚ということでスポーツが政治に大きく利用された時代はあったけれど最早そんな時代ではありませんよね!?いまでも一部の国ではそういうこともあるようですが日本までもがそんなことでは・・・もはや「世界の仲間」ではなくなりますよね!?)
そんなことで、バングラデッシュのテロの悲しいニュースが時間と共に消えていく中で「日本」「日本人」の本質に目をやってみるのも、テロ対策・警戒ばかりでなく世界の中の日本がどうであって、どうあるべきかを考え直すきっかけになればと思うのですが・・・・

狭い日本を出て、広い世界を知れば、改めて見えていない真の日本を知ることが出来るものです。
この開かれた時代になっても偏狭な島国に住む多くの子供達が世界に出て広い世界に生き、やがてこの国の本当の「開国」に導いてくれることを願わずにはいられません・・・・。
自分のことばかりではなく、他者への配慮のできる日本人であるために、他者への尊厳、敬意を忘れてはいけません・・・
日本はあまりのも自惚れのつよい国のような気がしてなりません。
自惚れとプライドは別物です。敬意とリスペクトも別物です。
大切にするということ・・・・・
ラグビーでいうところのリスペクト・・・ボールへのリスペクト・・・
ボール磨きを強要する先輩?の姿を想像させる「ボールへ敬意、物への尊敬??」ではなくひとつのボールを大切につなぐ、ひとりの頑張り努力を大切につなぐ・・・ということなのです。
「大切にする」 いつ、何を大切にするのか・・・・・
ニュースは事実を伝えることが仕事です。
そのニュースを知った者が、その事実から何を知り、何を感じ、何を考え、何をするか はニュースの中に含まれる役割のひとつであるように思いますが・・・
それを受け取る国民性もまた、ニュースでつくられるのだから報道のあり様を今一度考え直してみるのも今の時代ではないでしょうか・・・・
世界の幾つかの国に親しい友人をもつ私としては
犠牲者のご冥福を祈ると共に
日本人であることの何たるかを考えさせられ、少しの悲しみと残念さを感じる思いです。




 

[PR]
by sportssmart | 2016-07-05 08:09 | Change the World | Comments(0)