Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

日本ラグビーの勝利に見る日本という国

Wondreful win Japan Rugby! But,splendly surprised.

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ラグビーに出会ったのは1965年ごろ、思いっきりガンガン遊べるもののひとつでしかなかったラグビー
本格的にラグビーに出会ったのは2012年、NZでラグビーコーチングコースで。
余程好きな者でなければ誰も振り向かないラグビーでしたが、
もう10年以上のラグビーを使ったコアコーチングを続けています。
南アに勝ったジャパンラグビーには大きな拍手と敬意を払います。
次はぁ~・・・検討?を祈る思いで応援しています。

さて、世間というものは
それまで見向きもしなかったものを「勝った」というそのことだけで
猫も杓子も急に飛びつくように群がります。
これが「日本」ってものよ!

北海道の田舎の高校でサッカー部の顧問をして、ポンコツに近いチームを勝たせて全道大会に進めたことがあります。
この頃は、何処の中学高校でも他の部活の余り者の集まりがサッカー部みたいな時代で
部室は悪の巣窟みたな時代でした。
サッカーは計算された発展デザインで普及され今日に至ります。
20年ほど前の、Jリーグ発足の時は新しい文化にテレビにくぎ付けになったものです。
なでしこジャパンの時は、世界一になった瞬間から女子サッカーの存在が確立され、女子サッカーに可能性を見つけそれに群がるようになるわけです。
ラグビーも同じように、勝てば日の目を見ることが出来るかもしれません・・・

それにしても・・・・・・
日本のこの 騒ぎ方、飛びつき方 はどうなんだろう??
って思わずにはいられません。
この流れは、日本中の至る所にあって
他者が騒げば己も騒ぎ、他者が飛びつけば己も飛びつき
他者が右向きゃ己も右向き、左向きゃ左向きの日本人。
安保のことだって、国民の数からいえば極極僅かな人が真剣に考えて行動を示しはしたけれど
多くはどうだったのだろう?????
その少し前では日本の国の大切な人財である日本人『拉致』問題
スパイ映画ではあるまいし、
ある日突然外国の組織にさらわれてしまうなんて、
これこそ大きな問題なのに国中の関心はどうだろう???
過ぎてしまえば「関係ないこと・・・」
WCラグビー日本勝利に
今まで流行に現を抜かし、見向きもしなかったことに一斉に動くという
付和雷同の日本人が浮かび上がります。
これでは、他所の国からしてみればテキトウに扱われても仕方ないこと
「過ぎてしまえば関係ない」国民性でつくられているのだから
沖縄の基地移転問題だって、「騒ぎが過ぎてしまえば・・・なんとかなるさ」の適当なサジ加減で扱われても仕方ない部分があるのでは・・・
「日本人」って何なんだろうって思うんだけど・・・・

戦争加担を容認した日本は最早世界に平和の大切を訴えるだけの力があるだろうか ??
折角、ラグビーボールを通して相手の痛みを知ることや許すことや認めること、相手の領分を侵害してはならないこと、聞き入れなければならないレフリーの存在があること、戦いが終われば同じ人間仲間として敬意をもって互いの存在を認めあうことや、他者理解や困難克服の大切を体と心に響かせて歩いているのに・・・・・・

戦争の悲惨さを一番よく知っている国だからこそできるはずの平和への説得さえできない国
自国民がさらわれて?しまっても何の手立てもできない国
必要な時に必要なことさえ出来ない国
誰かに踊らされる国
誰かに流される国、
「自分」が育たない教育を「教育?」という「学力」で測る国

ラグビーって、他のスポーツと違うことがいっぱいあって
グランドでどうするか、どう戦うかの選択は全て選手に任されています
監督があれこれ指示して、監督の指示をまって、監督の顔色をみて、誰かの指示を仰いで・・・・
ではありません。
共に戦う仲間と力を合わせて仲間を信じて、自分達の判断で戦うのが何とも言えない魅力です
監督といえば、そこまでもっていってやること、そこまで育て、導き、手放してやるだけです
グランドの成果は自分の成果でもあるけれど選手の成長成果でもあります
それをスタンドから選手の成長を応援するだけしかないのがラグビーのラグビーたる所以ですが、それも最近は変わってきているようですが・・・・
それにしても、
WCラグビーの勝利の知らせに俄かに飛びつく日本人
これが、負けていたら冷たいニュースになっても大きなニュースにはならなかったでしょう
負けようが勝とうが選手の頑張りには変わりはありません
この頑張りに単純に応援してやれるのが応援です
負ければブーイングに無視、勝てばチヤホヤ、私も私も

なんて国だ、この国は ・・・

最近、ルワンダの教育を考える会のマリールイズさんと知り合いました。
悲惨な殺戮が繰り返されたルワンダの国で教育があったならそうはならなかったという体験からルワンダに学校をつくり学費を払えない貧しい家庭の子供でも受け入れてこれを支えている人です。
古き良き日本の心を頼りに戦争しない平和な国に憧れ、この国のような教育をと一生懸命取り組んでいる方です。
私は、日本人として、最早平和の尊さを語る資格が無くなったような無念さを覚えます。
それでも、昔の武士が無闇やたらに刀を抜かなかったのは、
一旦刀を抜けば、相手を傷つける、殺すばかりでなく、自分も傷つき、殺されるかも知れない命の危険があったればこそ、めったに刀は抜かなかったのだ ということを伝え、
身の危険に及ぶ危機や攻防があった時のために鍛錬を惜しまず、家族や城を守るために「死を覚悟」で刀を抜いた武士。戦わないための刀を肌身離さず武士の心のシンボルとして身につけていたことなど、知る限りの「日本の文化・歴史から学べること」を話しました。
ルワンダのマリーさんの学校は誰にでも開かれた、正に他者相互理解・困難解決、そして戦わない国・責めない国を目指して子供達にいろいろな体験を通してそのことを知ってもらいたいという思いで教育しているということでした。
日本人の私が出来ることは何かと思うとき
このWCラグビーの勝利に俄かに群がる国民性に代表されるように・・・
モノの流行に流されるこの国に居て
もう、「日本人として出来ること」はないような淋しさと無念さに駆られます。
イギリスの信仰(バイブル)などに目を向けない荒れる若者を何とか正しい方に導きたいという願いを込めて発生したのがラグビーの始まりです。
だから、ラグビーには多くの人としての訓えが含まれています。
このラグビーが単なる娯楽スポーツとしてでも日本中に受け入れられることで
スポーツに含まれる教育的なことや、人としての導きが生かされ、この国が変わることがあるならこんないいことはありません。
しかし、そこに目を向けられる国民性とスポーツ文化の土壌があるかといえば、残念なことに、定かではありません・・・
そうなることを願って、次の試合の健闘を祈ります
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by sportssmart | 2015-09-23 11:01 | ラグビー/NZラグビーアカデミー | Comments(0)