待つこと 待つことの意味 待つことの不安と強さ
2012年 12月 01日
Thank you for your reading on my blog.
I knew to many needs 「待つこと」
If I could to support for you, it's happy.
Than―
いろいろな局面で 慌てずジタバタせず じっと待つこと、待つことしかできないこと
待つことしかできない状況にあること自体に苦しみ悩みもがくことは誰にでもあることです
これをどうやって乗り越えるか
これが大きな問題です
先を急いで失敗し、時を逃して失敗し・・・・・のくり返しが世の常というものでしょう
周りの雑言喧騒に落ち着きを失い判断を誤ることもしばしばでしょう
人生の巡り合わせが悪いばかりに、上手くいかないこともあるでしょう
我慢しなければならないことがいっぱいです
いい日もあれば悪いこともあるのが世の常です
私が昨年の暮れ(2011年)12月14日に突然の病に倒れ4日目に救急車で運ばれ
救急車のサイレンの響きが遠ざかる中で頭に浮かんだことは
「あーこれで終わりか。人の命とは呆気ないものだな
よく頑張ったな ありがとう」という誰にあてるでもないハナムケの気持ちが、
死を恐れない、とても「安らかな眠り」につかせてくれました
7日目の朝、気がついたら 新しい命が戻ってきていました
何もしなかったわけではありません
一所懸命、良かれと思うことをしてきたつもりです
悪いことをしてきたつもりはありませんが、それが人から見ればいけないことであったかもしれませんが・・・・・
何もしないで待っていたわけではありません
もがいてもがいて空回りの連続の方が多い人生です
そのときはそう思わなくて一生懸命だったのですが・・・・
良くなることを願ってただやり続けるだけのことです・・・・・
動くにも動けずじっとしているしかないときもあるかも知れません
へたに動くと泥沼にはまるばかりの時もあるかもしれません
行き詰まるところ自分です。
誰かに蹴落とされたにせよ不本意なことであったにせよ
それをしたのは自分なのです
だから自分がやったことで自分がすべてなのです
誰のせいでもなく最後は自分で決めて自分でやったのです
するもしないも、待つも待たないも自分です
周りのことが目につき気になり自分を見失います
そうならないように目を瞑るにも耳を塞ぐにも勇気が要ります
大丈夫、いつも正しくあればいつか「時」が来るはず・・・
信じられるのは神様ではなく自分の正しい心です
それは正しいか正しくないかなんてことより
そのことを信じて行うあなたの「信念」が あなたの正しい心なのでしょう
願いが叶う時 そのことに救いの時がくるときはいつかわかりません
待つことの姿はその人そのときで形は違うでしょうが
待つことには強い覚悟と勇気が必要です。そして大きな忍耐と寡黙であることも。
どんな時も 遠い遠い向こう側に小さな小さな微かな点のように見える明かりがあるなら
それがどれほどの救いの力になるか
その小さな小さな点のような光のもとへ少しづつ少しづつ近づいていけるなら
その逆に、その光の入口がどんどん広がって灯りの入口が大きくなり
その光が近づいて来るかも知れません。
1985年のオーストリアキッツシュタインホルンで
雪崩に埋もれて一瞬にして真っ暗闇になって息が詰まってもうダメかと思ったとき
雪壁の中に一点の光を見つけたとき、生きられることを確信しました。
そのとき思ったのです
光の大切さを、希望の光の大切さを
どんな状況下にあっても
希望の光を見つけて、慌てずジタバタせず 先ず、待つことです
それから、さて、どうする と考え ゆっく動き出しましょう
生きる とか 出来る とかという「信念」をもって
どんな時にも闇雲にでも動いている方がそれだけでも安心ですし気が紛れます
しかし、「待つ」ということは力の要ることですし、勇気も知力も要ることです
「待つ」あなたの不安は計り知れないものと思います
が、「待てる」あなたの力を信じます
「待てる」あなたの勇気を称えます
救いの灯りがもう少し明らかになったら
少しづつ少しづつ動き出しましょう
或いは、そのとき、溜めていた力を一気に出し切る時かも知れません
あなたの「正しい力」を信じます。
**待つ・待つこと というキーワードでの検索で
このブログへ辿りつた方達への力になれれば幸いです・・・・・
Thanks.
I knew to many needs 「待つこと」
If I could to support for you, it's happy.
Than―
いろいろな局面で 慌てずジタバタせず じっと待つこと、待つことしかできないこと
待つことしかできない状況にあること自体に苦しみ悩みもがくことは誰にでもあることです
これをどうやって乗り越えるか
これが大きな問題です
先を急いで失敗し、時を逃して失敗し・・・・・のくり返しが世の常というものでしょう
周りの雑言喧騒に落ち着きを失い判断を誤ることもしばしばでしょう
人生の巡り合わせが悪いばかりに、上手くいかないこともあるでしょう
我慢しなければならないことがいっぱいです
いい日もあれば悪いこともあるのが世の常です
私が昨年の暮れ(2011年)12月14日に突然の病に倒れ4日目に救急車で運ばれ
救急車のサイレンの響きが遠ざかる中で頭に浮かんだことは
「あーこれで終わりか。人の命とは呆気ないものだな
よく頑張ったな ありがとう」という誰にあてるでもないハナムケの気持ちが、
死を恐れない、とても「安らかな眠り」につかせてくれました
7日目の朝、気がついたら 新しい命が戻ってきていました
何もしなかったわけではありません
一所懸命、良かれと思うことをしてきたつもりです
悪いことをしてきたつもりはありませんが、それが人から見ればいけないことであったかもしれませんが・・・・・
何もしないで待っていたわけではありません
もがいてもがいて空回りの連続の方が多い人生です
そのときはそう思わなくて一生懸命だったのですが・・・・
良くなることを願ってただやり続けるだけのことです・・・・・
動くにも動けずじっとしているしかないときもあるかも知れません
へたに動くと泥沼にはまるばかりの時もあるかもしれません
行き詰まるところ自分です。
誰かに蹴落とされたにせよ不本意なことであったにせよ
それをしたのは自分なのです
だから自分がやったことで自分がすべてなのです
誰のせいでもなく最後は自分で決めて自分でやったのです
するもしないも、待つも待たないも自分です
周りのことが目につき気になり自分を見失います
そうならないように目を瞑るにも耳を塞ぐにも勇気が要ります
大丈夫、いつも正しくあればいつか「時」が来るはず・・・
信じられるのは神様ではなく自分の正しい心です
それは正しいか正しくないかなんてことより
そのことを信じて行うあなたの「信念」が あなたの正しい心なのでしょう
願いが叶う時 そのことに救いの時がくるときはいつかわかりません
待つことの姿はその人そのときで形は違うでしょうが
待つことには強い覚悟と勇気が必要です。そして大きな忍耐と寡黙であることも。
どんな時も 遠い遠い向こう側に小さな小さな微かな点のように見える明かりがあるなら
それがどれほどの救いの力になるか
その小さな小さな点のような光のもとへ少しづつ少しづつ近づいていけるなら
その逆に、その光の入口がどんどん広がって灯りの入口が大きくなり
その光が近づいて来るかも知れません。
1985年のオーストリアキッツシュタインホルンで
雪崩に埋もれて一瞬にして真っ暗闇になって息が詰まってもうダメかと思ったとき
雪壁の中に一点の光を見つけたとき、生きられることを確信しました。
そのとき思ったのです
光の大切さを、希望の光の大切さを
どんな状況下にあっても
希望の光を見つけて、慌てずジタバタせず 先ず、待つことです
それから、さて、どうする と考え ゆっく動き出しましょう
生きる とか 出来る とかという「信念」をもって
どんな時にも闇雲にでも動いている方がそれだけでも安心ですし気が紛れます
しかし、「待つ」ということは力の要ることですし、勇気も知力も要ることです
「待つ」あなたの不安は計り知れないものと思います
が、「待てる」あなたの力を信じます
「待てる」あなたの勇気を称えます
救いの灯りがもう少し明らかになったら
少しづつ少しづつ動き出しましょう
或いは、そのとき、溜めていた力を一気に出し切る時かも知れません
あなたの「正しい力」を信じます。
**待つ・待つこと というキーワードでの検索で
このブログへ辿りつた方達への力になれれば幸いです・・・・・
Thanks.
by sportssmart
| 2012-12-01 13:14
| 本当に大切なこと