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Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

東日本大震災に私はなにができるか、何を学んだか、これからどうするか

4月5日
朝からTV8チャンネルを見ています。
2日のラグビースクール6年生を送る会のプチパーティーを終わらせ、次の仕事(直接的な収入には関係のない私の人生の仕事)は、6、8、10、17、24と飛び飛びで、その間の空いている時間は仕事もなく、新しい仕事を生むべく待機しながらあれこれ思索するしかありません。
自分は何ができるか、どうすべきか、今までにしてきたことは何だったのか、これを生かすにはどうするか・・・・・ない知恵を巡らすばかりです。

東日本大震災の行方は遠大です。
このことをTVはいろいろな角度から延々と伝えています。
他のチャンネルは最早他の娯楽番組に切り替えられています。
1つのチャンネルくらいは震災被害地の情報専用チャンネルとしての機能をもってもいいのではないかと考えていたところです・・・
日本人の移り気な性質がよく現れているような気がします。

あれやこれや、仕方ないことがいっぱいあります。
どんなに抵抗してもどんなにあがいても仕方ないことは仕方ないのです。
まして、人知を超える自然災害です。誰のせいでもありはしません。

原子炉破壊、放射能拡散と闘っている現場の方々の決死の覚悟を思うと私も加わりたく思いますが、悪戯に参じることは邪魔になるだけでしょう。

ここは、日本が自慢してきた「どこの誰より優れている民族」という自惚れにも似た自意識を捨てて全ての人類の英知を借りてでも食い止めなければならない局面です。
長い間、学校学校、教育教育に泳がせれてきたこの国です。オーバードクターが溢れている国です。
優れた科学者達がいっぱいいる日本ですから、その英知を結集すればこの核の洗礼もクリアーすることができるでしょう。

しかし・・・・
その謙虚さと必死さがなければ・・・・・

先にも書いたように・・恐ろしい勢いの嵐の中、暴風雨の中で理屈抜きに運良く生き延びた遭難者と同じ状態のような気がしてなりません。
この大きなパーティーを1人も落伍者を出さないで引っぱって無事下山させ生還させるには勇気あるリーダーが不可欠です。
山の登山隊とは問題は別かもしれませんが、私は似たような深刻な思いを感じます。

私は、山や上がりですので幾度か勇気と安全と皆の無事を一身に受けた立場に立ったことがあります。
事なきに今に至っているからこんなことを思うのでしょうが・・・

誰が何と言おうと「黙れ、死にたくなかったらじっとしてろ」と先をきって岩陰で暴風雨に耐えることを強いたことも、「四の五の言うな、無事に下りたかったら黙って着いて来い!」と先人切って日没迫る道を強行突破したこともあります。
ついてくる方は不安ながらも気楽なものです。この命を預かる者は必死です。
人はいよいよな場面に出会ったとき、力なく誰彼に頼る者と、守る助ける、助かる!という立場を取る者とに別れるようです。
一番困ったのは、ただの文句たれでしたが、その不平不満の文句たれだった方は今も元気に生きています。

スリーマイル島、チェルノブイリと核事故の前例がありますが、人類2度の核の洗礼を受けている国はありません。
「おい、日本よ、人類に対して、こんな風に核が暴れだしたらどうする??? 
人類最初に核の痛い洗礼を受けているお前達日本がモデルになって闘ってみィー!!!」
とばかりに、日本が選ばれているのかも知れません。

広島長崎の核からの復興の時とは随分時代や科学の進歩は違いますが、受けている側は同じ日本という国であり日本の日本人です。
ただ、あのころと違うのは、その現実を受け入れる覚悟とそこから立ち上がる勇気が人任せであることのように思います。
(あの頃も、先陣切って、責任を感じ、腹切りするくらいの覚悟思いで行動したのは中堅の方々で、高官のところでは何の痛い思いもせずにいたのが日本の再建の最初だったようです・・・。)

何でもどうにかなる でなく、どうにかする のです。

悪戯に慰めあって励ましあってごまかしている場合ではないと思うのですが・・・・
自分のしたい思いやりだけで義援金支援金募金があちこちです。物の支援もあちこちです。
相手の状況、相手の気持ちになって相手が望むこと相手が必要とすることへの機を逃さずの助けが届いているのでしょうか。

誰でもどこででも、思いやりは語れます。
見せかけの(自分よがりな)親切はすることができますし、満足もします。
また、被災地の方々はすべての拘りを捨てて新しい道に挑まなければならない状況でしょう。


ある、裕福層の中高年パーティーのお世話をしたとき
それこそ突然の雲行きで周りの状況が変わり、日没迫る中を雷の中を逃げながらの下山となった時がありました。
ピッケルとベルトを捨てるように伝えました、ピッケルの金具とベルトのバッケン(金具)が被雷の原因になるからです。
雨に打たれながらの下山ですから体力の消耗が明らかでした。その老体の方には荷を捨てることを伝えました。
足元を踏み外して捻挫したご婦人を背負ってやっとの思いで地図にない避難小屋に辿り着いた経験があります。
そのとき、背中に浴びせかけられるきつい言葉に心が痛み判断に迷いましたが、まだまだ馬力のあった若かった私は「このくそ爺、くそ婆死にたくなかったら黙って言う事聞け!」と怒鳴りつけて足元を探しながら引っぱったことがありました。
必死に守る、生きる、生かすってことは、そんなに誰にでも優しく丁寧にやっていられないこともあるのです。
一度身についた人間の教養というものが、こんなときでも出る言葉や取る行動を選ばせるものです。
こんな状況の中でも、紳士に力を貸してくれた方もいたのです。

ニュースやTV番組を見ていると、人間の本質にもっと目を向けてもらいたく思います。

すべてを失った人たちの再起をどうやって応援するか。
まず、住処、水、塩、食 衣 自立へ向えるための資金、資金を産むための仕事・・・順番にやっていかなければならないでしょう。
慰めや励まし、イベントばかりがはやし立てられています。美談ばかりが助けではありません。(それらも大切な支援のひとつではありますが・・)
受ける側も、あれは嫌や、これも嫌やと言っていられる場合ではないはずです。

自分の荷を背負えるものは自分で。
余力のあるものは仲間の荷を。
弱りきったものは荷を捨ててでも
この山を下りなければなりません。

TVやインターネット・・被災地の方々に簡単に届くような現実ではないでしょう
そんなことさえ無視して、自分達の報道や番組が勇気をつけて明るい知らせを・・・と自負していますが
もっともっと自然の厳しさと人間の性という部分を認識することも大切なように思えます。

なぜ、こんなに多くの人達がシャァシャァとTVにでてきて、いかにも自分が知っているかのように語っているのか・・・・不思議です。

かくいう私も、お金の無さがすべてを停めています。
今月の私自身の大きな山を越えたら、
私のできることでお手伝いすべく、そちらに伺おうと考えています。

by sportssmart | 2011-04-05 11:38