Coaching the Core through the Sports Education


by sportssmart

節分に思う。小さな心の中の「福はうち、鬼はそと」

a0111271_842475.jpg

2月3日。節分。
3歳と1歳の孫と一緒に豆撒きをしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は鬼さんが家の周りにいっぱい
いい子にしていないと鬼につれて行かれるよ

ひとりでご飯をたべられるかなぁ~
ちゃんとできるかなぁ~

あっ、そんなことしたら鬼さんがみてるよ
(カーテンをそっと開けて)あっ、みてるみてる、目ん玉がピカッって光っていたぞォ~

あっダメダメ そんなことしたら鬼につれて行かれる!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いたずら盛りの子供達に家の周りも、家の中も鬼さんだらけです。

そんな大人のおどかしのことばにこどもの心は真剣です。
目の玉を白黒させて、いっしょけんめい自力でご飯をたべたり、お片づけをしたり、
窓の外の暗がりに光る街頭の反射を怖がって懐に飛びついてきたり・・・・

顔はこわばりちいさなこころは真剣です。
大きな声で鬼はーそと、福はーうち と力いっぱい豆を撒き散らしていました。

その、純真なこころ、ふるえるちいさなこころ、自分のいけなさにあわててとり返そうとするいっしょけんめいさ。

胸がキュンとなるくらいの純真さと汚れのなさとそのしぐさの可愛らしさに目頭が熱くなる思いをさせられました。

こんな小さなこんな真っ直ぐな汚れのないこころをいつまでももち続けられるように大切にしてやるのが大人の役割ということをしみじみ感じさせられる節分の夜の1コマでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小さなこどもは見るもの聞くもの、形のあるもの音のでるもの、なんにでも興味津々の育ち盛りです。
3歳の男の子は言葉も動きも達者で発達も早いようですが、、、、
それでも、そこは所詮子供(3歳児・幼児)の域を超えるものではありません。
あまり達者なのでついつい親も周りも自分達と同じ思考と行動レベルのように勘違いしてしまって、本気になって対等になって怒ったり求めたりしているときが時々です。

下の1歳の男の子は何もわからない赤ちゃんのように見えますがこれもまた、ちゃんと見ているのですねぇ。
お兄ちゃんのすることを真似したり、お爺さんの私が風呂に入ろうと服を脱ぎ始めると自分も自分の服を引っぱって服を脱ごうとするのです。
何かを求めるときは抱っこを求め、あっち行けこっち行けと指差しして指示しあがるのです。

子供だから、赤ちゃんだからと侮れないものです。
この段階から、ちゃんと大人のすることを見ていて話していること話し方を耳にしているのですね。
これはこれは・・・大人の責任は重大です。

それなのに、ついつい・・・・・・こどもを子供と思わないで、赤ちゃんを赤ちゃんと思わないで、自分といっしょのレベルで感じ、怒ったり求めすぎたりしてしまうのでしょうね・・・・・・

かくいう私も最近になって、60を越える歳になってやっとこどもを子供と感じ、大人のあるべき姿を考えられるようになってきたような気がします。
そういうことは・・・・・・、今までなんだったのか?? 
あまりにも子供だったように思います。
自分の存在したところ、生きてきた道筋が私自身の成長をこんなに遅らせてしまったのかな とも思えたりして・・・
大人になるって大変なことですね。

この社会が、人をいつまでも真剣にさせないというか、こどものままでいられるというか・・・・・
その反面、持っていたはずの純真さや汚れのないきれいなこころ、正しいこころを剥ぎ取ってしまう、無くしてしまうようなことばかりが多すぎて・・・・
子供を大人としての自覚ある大人にしない日本の環境、日本の教育なのでしょうか・・・

何でもお金、名のあることが得、目立つことが先、流行に乗らなきゃ遅れる、人と同じじゃなきゃだめ・・貧乏は敵・・・・上でなくとも下ではない・・・地に足の着かない暮らしが蔓延している日本の暮らし方のように思えます。
かくいう私もそのひとりに過ぎないのですが・・・・

2月3日の節分を3冬振りに我が家で新しい仲間(孫達)と味わえた幸せな
小さなお友達から大切なことを感じさせられた感慨深いひと時でした。
a0111271_8551257.jpg

[PR]
by sportssmart | 2011-02-04 09:07 | 本当に大切なこと | Comments(0)